2005年夏 西へ向かう 前編 〜リニモから九州鉄道記念館へ〜


今年の夏はせいぜい東急や東京メトロで走った臨時電車を追いかけたくらいで、なぜかあまり鉄をしないで8月下旬までやってきた。でもやっぱり、1度くらい遠出をしないと、なんか損した気分というか、せっかくの夏なのに寂しすぎる。ということで18きっぷを一葉買ってみた。
いつもは18きっぷを買ってから、あれこれ、行き先を考えるが今回は行きたいところが明確に決まっている。目的地はずばり今年2月に開通してまだ行っていない福岡市営地下鉄の七隈線。そこまでに行く途中に、名古屋のリニモや、昨年11月に開業した京都市営地下鉄東西線、醍醐―六地蔵なんかを寄り道して九州入りをしようと計画を立てる。珍しく早めに予定が決まっていたので、ひと月前に無事ムーンライト九州の指定券を往復ゲットしておいた。金曜日に出発するため、休暇申請もおこなっておいた。7月、8月、世間は夏休み一色だが、土日以外は休みもなく働いてきた自分のご褒美みたいなもんだ。かくして3日間のプチ夏休みが始まった。

2005年8月19日(金)
最近、西へ向かうときに御用達にしている373系使用の東海道線の始発に新橋から乗る。お盆も過ぎ、8月も下旬に近づくと、夜明けも遅くなっており、外は明るくはなっているものの、まだ日の出前に家をでる。夏が終わりに近づくのを感じさせる一瞬だ。

373系使用の普通列車静岡行 熱海駅 まもなく引退が噂されるリゾート21と373系のツーショット
211系浜松行 静岡駅 長野電鉄へ譲渡される小田急HiSEの甲種回送に出会いました。 浜松駅

373はいつもどおりの乗車率といった感じで、比較的好きなところに腰掛けられる。海側をとるか山側をとるか、いつもは海側に座るがたまには富士山を見ながらいくのもいいなっと思って山側に座る。多摩川を越え、神奈川県に入り、横浜を過ぎる頃には、朝早く起きたことがたたり、早速一寝入りする。次に起きたのは曇り空の中の真鶴付近。ってことはせっかく山側に座ったのに、富士山は見えないってわけだ。(笑)。熱海では毎回恒例の写真撮影。今回はまもなく引退が噂される伊豆急リゾート21との2ショット。丹那トンネルを抜けて、JR東海管内の函南へ。沼津を過ぎた辺りで再び眠りに付き、気がつくと東静岡。静岡では2分接続でホームの反対側への211系浜松行に乗り換える。373系から比べると味気ないが、最近は、ロングシートで東海道線を下るのにもだいぶ抵抗がなくなった。豊橋からは新快速に乗り換えて名古屋を目指す。相変わらず4両編成の313系は満員状態だが、向かい合わせになった4人席になんとか座らせて貰う。18きっぷの時期しか乗らないので、普段はよく分からないが、名古屋圏の新快速はやっぱり4両ではちょっと短い感じがする。少なくても6 両編成にはして欲しいところだ。

313系 新快速大垣行 名古屋駅 万博期間中ということで設けられた案内
エキスポシャトルの乗り場案内 211系 快速エキスポシャトル 名古屋駅
快速エキスポシャトルの黄色の方向幕  側面方向幕
こちらはLEDです。 英語と交互になります。

名古屋からは愛知万博期間中だけ走っている快速エキスポシャトルで万博八草へと向かう。ちょうど昼時なので、ホームで「みそかつ・えびふりゃあ」という駅弁を買い求めて列車に乗った。車両は6両編成の211系オールロングシート。平日のこんな昼時から万博へ行くという人は少ないのだろう、比較的車内がすいていたので、ロングシートの中で、駅弁を食べてしまう。昔はロングシートでの駅弁にはかなりの抵抗があったが、慣れとは怖いもので、最近は、混雑してなければ、平気になってしまった。(笑)。ちょうどこの列車は1時間に1本の快速列車で、中央線の高蔵寺まで快速運転を行なう。乗り合わせた乗客の様子を見ると、万博への客半分、地元の利用者半分と言ったところ。千種を出たところで、車掌が乗り越し精算に回ってきたので、18きっぷを提示して、「万博八草までの乗り越し」と言うと、早速若い車掌が端末操作を始めたものの、なかなか発券されない。そして、「すみません、他社線だけの切符は発見できないようです。降りたときにお願いします。」だそうだ。俺は鉄道おたくだから理屈は理解できるし、まあそんなもんかなって思うけど。一般客には納得できないだろ うな。左手に神領の車庫を見ると高蔵寺に到着。

名古屋駅 みそかつ&えびふりゃ〜 えびふりゃ〜2本に一口ひれかつ2つに味噌ダレが
たっぷりかかりボリュームたっぷりです。これで900円は安いです。

ここから愛知環状鉄道に入る。高蔵寺―万博八草間はノンストップだが、単線区間があるため行き違いで途中駅で何度か運転停車をする。万博八草は愛知万博に供えて改装され、とても綺麗な駅舎になっている。ここの改札口で先ほど車内精算できなかった差額を支払うがさすが万博ということでJAPNA RAIL PASSで乗り越し運賃を払う外人もちらほらいる。さて一度、改札口を出たものの、記念乗車券を売ってるそうなので、再び窓口で買い求める。そうこうしてるうちに、万博終了後には引退が囁かれている100形が入線してきたので、改札口の駅員に「あの電車の写真取りたいので、中に入れてもらってもいいですか?」って聞くと、快く入れてくれたおかげで、無事写真撮影成功。記念乗車券買った効果ありか(笑)。

万博八草駅 駅名標 万博八草駅 ホームの様子
愛知環状鉄道 100系 万博終了後引退の予定です。
一度改札口を出たのですが、駅員さんに頼み込んで
写真を撮らせて貰いました。
愛・地球博のヘッドマークステッカーが貼られています。

さて、ここからは、その万博に伴って開通したリニモに乗る。混雑緩和のため、広い乗換口には臨時の乗車券売場が設置されている。とりあえず、エスカレーターをあがり、本来の券売機で乗車券を買い求めようと思ったが、トランパスが使えるとのことなので、リニモがデザインされた1000円でトランパスを買った。トランパスを改札に通し、さらにエスカレーターをあがり、ホームへ。ちょうど列車が発車する時だったが、満員の上、係員が次の電車をご利用下さいとの案内しているので、それに従う。リニモのホームは東京メトロ南北線のように全面ガラス張りのホームドアが設置されており、写真撮影には向かないので、ホーム先端から走り去る列車をガラス越しに撮影する。1本回送列車をやり過ごしたあとの列車に乗り込む。万博期間中だと3両編成はちょっと輸送力不足な感じがするが、万博が終わればこれでも、長すぎるくらいかもしれない。ボックスシートに座り、滑るように発車し、しきなり、急カーブ、急勾配だが、ぐんぐん加速する。このリニモ、HSST方式のリニアモーターカーで、走行中は軌道上から約6mm浮き上がっている。浮き上がっていると言っても6mmなので、 浮上感はほとんど感じられない。そして、6mmでも浮き上がって走るので、当然のことながら台車には車輪がない。(浮き上がらなかった場合の補助輪はあるらしいが。)車輪がないというのは、鉄道にとってというか、私にとっても、驚きというか、ある意味、衝撃的でもある。モノレール、新交通システム、リニア式地下鉄など、変り種の鉄道は多数存在するが、いずれも走行するための車輪はある。ところがリニモにはそれがないのだ。リニアモーターカーと聞くと時速500kmとかを想像するが、このリニモは低速型で最高速度は100kmである。

リニモの万博八草駅 リニモの万博八草駅 駅名標
各駅ごとにシンボルマークがあります。 リニモがやってきました。非常に静かで音もなくやってきます。
コカコーラの全面広告車もあります。
全面ガラス張りが特徴です。 万博八草を出発するとすぐにS字カーブの急勾配を
登って行きます。奥には万博の長久手会場と瀬戸
会場を結ぶゴンドラも見えています。

万博八草から2つ目で、長久手会場と瀬戸会場を結ぶゴンドラやパビリオンが見えてきて、万博会場に到着する。ここで大半の乗客を降ろし、車内は一気に閑散としてしまう。その後も東部丘陵線という正式線名の通り、アップダウンを繰り返しながら、走行する。速度が速いためか、駅間は比較的短く感じられる。はなみずき通を過ぎると、急カーブで地下に潜り、地下鉄東山線と接続する終点藤が丘は地下駅となる。万博八草から約17分で到着した。

万博会場付近の車窓。紫外線吸収ガラスのため車内からは
きれいに写真が撮れません。
万博会場駅 駅名標
リニモ 藤が丘駅 地下鉄 藤が丘駅
名古屋市営地下鉄東山線5000形 5050形 広告車

藤が丘からは先ほどリニモを乗るときにかったトランパスで地下鉄東山線に乗車。リニモは地下駅なのだが、地下鉄である東山線は地上駅になる。ここから名古屋までのんびりと戻ってくる。さて、名古屋での予定が終わり、再び、東海道線に乗り、さらに西へ向かう。313系の快速で大垣へ。さらにそこから米原行に乗り換えるが、相変わらず2両編成で満員状態。30分強立たされる。毎回思うが、本当にこの区間、なんとかならないものか。数年前に1時間ヘッドから30分ヘッドになったのは評価するが2両編成というのはいかにも短すぎる。本数を増やすなり、編成を長くするなり、もう少しなんとかして欲しい。米原からは接続があまりよくなく、20分程、時間がある。そういえば、米原ではいつも慌しく乗り換えてホームしか知らないので、今回は、1度駅を降りてみることにした。関西方面から北陸へは湖西線経由が主流になったとは言え、東海道新幹線、北陸本線と交わり、さらに近江鉄道というおまけもついてくるわけで鉄道の要所には変わりない。新幹線との乗換口にはそれなりのKIOSKが店を構えており、駅弁や土産物などを並べていて見るだけでも楽しめる。

313系 快速 大垣駅 313系米原行 米原駅 2両編成のためすさまじく混雑しています。
米原駅 221系 普通 米原駅
223系 新快速網干行 米原駅 山科駅

米原からはJR西日本管内に入り、新快速を山科まで乗る。なぜ山科かというと昨年11月26日に開通してほったらかしにしておいた地下鉄東西線、醍醐―六地蔵間に乗るためである。今日の予定はこれで終わりになってしまうので、時間に余裕があるということで、近くの西友に1000円カットの店(QBHouse)が入っていたので、散髪なんかをしてしまう。知らない土地で床屋に入るって抵抗があるものだが、チェーン店だと気軽に入れてしまうものだ。

京都市営地下鉄 東西線 東野駅 六地蔵駅に到着
ホームドアがあるため車両の写真がきれいに
とれません。
六地蔵駅 ホームの様子 東京メトロ南北線と同様の
ホームドアが設置されています。
地下鉄 六地蔵駅

西友は山科よりむしろ次の東野に近いので、ここから東西線に乗る。ここでも、1000円のスルッとKANSAIを購入して乗車する。東西線の東西と言っても洛内のことで、山科から先は南北に走っている。深いところを走っているようで、階段をかなり下る。断面の小さなミニ地下鉄でホームドア設置のため、写真撮影が全くできないのは残念。醍醐を出ると、石田、六地蔵と2駅で終点。六地蔵では、JR奈良線と京阪宇治線にそれぞれ乗換ができるが、京阪とはやや離れている。これで京都での予定も終了。奈良線みやこ路快速で京都へと向かう。ボックス内に乗り合わせたのは奈良での観光を終えたフランス人夫婦。古都奈良は楽しめたであろうか。仏語ができないので、会話が出来ず残念。反対側の電車は東京では絶滅した103系のウグイス色に懐かしさを感じる。山手線の印象が強いカラーだが、こうしてみてみると、ウグイスという色と名称が古都奈良、京都にとてもマッチしているように思える。

JR奈良線 六地蔵駅 六地蔵駅ホーム 発車案内
奈良線103系 城陽行 六地蔵駅 221系 みやこ路快速 京都行 六地蔵駅
京都駅

なんか中途半端な時間に京都についてしまい、あとは新大阪22時01分発のムーンライト九州に乗るだけなのだが、まだ6時前と時間がある。とりあえず、食事をしようと思い、駅内題を散策するが入って食べたいと思うようなレストランはなく、そういえば、京都の駅弁って食べたことがないと思って、駅弁を購入。山陰線のホームに発着する特急やはるかを眺めながらホームで食べてしまう。まだ時間もあるし、髪を切っているので、お風呂に入りたいということで、前回も訪れた八条口から徒歩5分の銭湯「大正湯」に行く。スーパー銭湯全盛のなか、昭和初期にタイムスリップしたかのような昔ながらのたたずまいの銭湯である。

183系 まいづる 183系 はしだて
京都駅 幕の内お弁当 幕の内でも中味は京風の料理が詰まっています。
扇形や花形の御飯や薄口のおかず、はも、生麩等、
京の味満載です。

それでも、まだ8時前。とにかく、大阪方面に行こう。新快速の車内で同時間を潰すかを考える。いろいろ考えた挙句4.25の事故現場へ行くことにした。尼崎から宝塚線に乗り換える。立体交差後左カーブが続く。夜で景色はよく見えないが、何度もテレビニュースで報じられたマンションを何事もなかったかのように通りすぎる。新快速の車内でどう時間を潰すかを考える。いろいろ考えた挙句4.25の事故現場へ行くことにした。尼崎から宝塚線に乗り換える。立体交差後左カーブが続く。夜で景色はよく見えないが、何度もテレビニュースで報じられたマンションを何事もなかったかのように通りすぎる。1F部分はまだビニールシートで覆われている。心の中で手を合わす。川西池田で折り返し、事故と同じ、207系東西線直通の同志社前行の快速列車に乗る。日本では近年まれに見る大惨事。どうしてこのようなことになってしまったか、評論家はいろいろ言ってはいるが、実際のところ、まだ分かっていない部分も多い。二度とこのような事故が起きないよう祈りつつ尼崎に到着した。ここから、そのまま、JR東西線へ。JR東西線は開業直後に乗って以来2度目になる。全線地下区間な ので、どうってことはないが、北新地は都はるみの大阪しぐれで「♪北の新地は思い出ばかり」と歌われているのでも有名だ。って大阪の歌でまっさきに思い出すのが「大阪しぐれ」とは、俺も古い人間だなあ...(笑)。今時の若い人なら、きっとゴスペラーズの「新大阪」あたりを言うのかな。(笑)。
京橋からは大阪環状線で大阪に戻る。東京の山手線、大阪の環状線と何かと比較されるが、性格はかなり異なっている。山手線の場合は、戦前(1925年)から環状運転を行なっていたが、大阪環状線は、1961年に西九条―弁天町間の開通で環状運転が開始されているので、環状運転の歴史は比較的浅い。そして山手線はJR東日本の最新型E231系が集中投入されており、環状運転以外の系統は存在しないが、大阪環状線は、国鉄時代の代表的な通勤型の103系が今でも現役で活躍。そして、関西線、桜島線(ゆめ咲線)、阪和線へと乗り入れており、103系もオレンジのほか、ウグイスやユニバーサルスタジオのラッピング塗装。そして、221系、223系も乗り入れてくる。

新大阪駅 駅名標 ムーンライト九州 発車案内
183系 北近畿 ムーンライト九州 入線
今時珍しくなった14系です。 側面方向幕

大阪から新大阪まで1つ戻り、ムーンライト九州の発着する17番ホームへといく。すでに、多くの乗客が集まっているが、全車指定のため、長い列を作ることもなく、また夜行自由席特有の殺気だった雰囲気もなく、列車の入線を待つ。まもなくするとEF65に牽引されたピンクと白のツートンカラーの14系が8両編成で入線。今時、14系客車に乗るというのも貴重になってきた。車内は元シュプールに使われたということで、スキー置き場や、大きな荷物置き場もあり、荷物の大きい客には便利である。新大阪を出ると大阪、三宮、神戸、明石、姫路、岡山に停車。その後は翌朝、厚狭まで停車駅はない。大阪でほぼ座席は埋まる、車掌が繰り返し、全社指定席で、指定券をお持ちでない場合は乗車できません。と案内するが、駅に停車する直前に案内してもあまり意味ないように思う。ちなみに、今日は満席とのこと。今朝は4時起きをしているので、明石につく頃にはかなり眠くなり、ほとんど記憶がなくなる。

2005年8月20日(土)
翌朝起きたのは、厚狭を過ぎて、下関到着間際だったであろうか。高架駅の下には、今年春に廃止されたあさかぜに使用されていたと思われる24系25形の姿も見える。もう下関行のブルートレインの復活はないのであろうか...。下関には15分程遅れての到着。本来接続を取るはずの5時47分発の山陰線には接続しないとの案内がある。本数の少ない山陰線に接続しないのは、これから山陰方面に行く人は困るだろうなと思っていたら、こちらが下関に着く直前に、その山陰線の気動車とすれ違ってしまった。タッチの差なら少しくらい待ってもよさそうだが、ムーンライト九州はそもそも臨時だし、山陰線は単線だから、少しの遅れでも、影響が大きくなってしまうのであろうか。下関からは交流電化になるため機関車をEF65からEF81に付け替える。そのためしばらく停車するとの案内があったので、早速写真撮影に降りてみる。このムーンライト九州自体、客の大半が18きっぷ組、鉄連中なので、皆、三々五々、車内から出て、撮影にくる。関門トンネルを抜けて、九州川の門司に到着。以前はここで、EF76の交流機に再び機関車が付け替えられたが、現在は省力化のため このままEF81が博多まで牽引する。門司を出ると小倉、戸畑、黒崎、折尾、終点博多と並の特急並の停車駅しかないが、特急では50分で結ぶ区間をムーンライト九州は2時間近くかけて進む。

翌朝 下関駅 機関車付け替えです。
EF65はここで役割を終えます。
EF65が開放されました。
ここからは交直流形のEF81が牽引します。 終点博多に到着です。
最後尾は展望ラウンジになっています。 ムーンライト九州テールマーク

さて、車販も何もない車内に閉じ込められて、お腹もすいてきたので、早速博多でめんたい弁当を購入。福北ゆたか線に乗り込む。817系は普通列車では破格の本皮シートを使用した贅沢な車両。前面のブラックフェイスはかつて炭鉱だった筑豊地区を通るとのことで石炭の黒を表している。
吉塚までは鹿児島本線と平行に走り、右に分かれて篠栗線に入る。篠栗線は戦前に石炭輸送のために篠栗―吉塚間が開業した路線である。そして1960年代に筑豊地区との短絡のために篠栗―桂川間が延長された。近年では博多からの距離の近さが幸いして、篠栗まで福岡のベッドタウン路線として活況を呈しており、2001年には全線電化され福北ゆたか線との愛称がついた。篠栗までは住宅地の合間を頻繁に停車していくが、篠栗を出ると、周りの景色が一辺して、山中の田園風景になる。そして全長4550mの篠栗トンネルを抜けると九郎原、筑前大分、桂川へと至る。桂川からは筑豊本線と合流。筑豊本線の桂川―原田間は篠栗線電化で取り残されたような非電化区間になってしまっている。列車はそのまま、原田とは反対の直方方面へと向かう、新飯塚では後藤寺線が、そして直方からは平成ちくほう鉄道伊田線が分かれ、筑豊炭田華やかし頃の鉄道路線網が現在でもなんとか生き残っており、なんか嬉しい。

817系 福北ゆたか線 普通列車 博多駅 側面ステッカー
博多 めんたい弁当 明太子をまぶした梅の形をしたごはんと左下の明太子と
一緒に食べるための白飯ののり巻が入っています。
おかずは福岡ということで当然筑前煮になります。
直方に到着しました。 813系も使用されています。
直方駅 JR直方駅と筑豊直方駅赤線の道で歩いて約10分です。

直方からは、久しぶりに筑豊電鉄に乗るため、ここで下車。筑豊電鉄の直方駅は、JRの直方駅とは徒歩7、8分離れていて、乗換にはかなり不便だが、道は途中一回だけ、広い道を1回左に曲がるだけなので、比較的分かりやすい。JR改札口を出たところに、周辺地図があるので、乗り継ぐ人はざっと確認しておくとよいだろう。近道は駅前の広い道ではなく、左側の細い道を斜めに入って行き、郵便局に突き当たったら左へ曲がると比較的早い。筑豊電鉄の駅は高架駅で、道路のところでその高架がぷつっと途切れている。路面タイプの電車なので、高架駅にはいささか不釣合いな感じがする。そして惜しむらくは、路面タイプなので、逆に地平にしておき、JR直方まで併用軌道で接続すれば便利だったものをと思われてならない。
しかしこの筑豊電鉄、日中は10分ヘッド。運賃も黒崎駅前まで380円と地方鉄道としては、かなり善戦している。車両は連接の軽快電車。本当は西鉄時代の3連節電車に乗りたかったが、こちらは平日の朝ラッシュ時しか運用がないようである。筑豊直方からは数名が乗車。当然、ワンマンだと思っていたが、女性車掌が乗車。後部ドア扱いを行なう。その車掌がちょうどきたので、黒崎駅前までの切符を求めると、この車掌、乗車券の販売は行なわず、500円硬貨の両替だけをしてくれて、運賃は下りるときに運賃箱に払うように言われる。じゃあ、なんでこの車掌乗ってるんだろう。と思っていると、両替と、回数券の販売を行なっているようだ。電車はこまめに停車していき、その都度、少なからず乗客を拾ってゆき、いつのまにか座席は満席、ちらほら立ち客が出るまでに至る。10分ヘッドでこの盛況ぶりは地方私鉄においてはなんとも頼もしい限り。やはり10分ヘッドという利便性と比較的安い運賃によって、地域住民の足として定着しているようだ。JR鹿児島線と寄り添い、本来、熊西―黒崎駅前間は西鉄の路線であるが、第二種免許を取得し、現在は筑豊電鉄が乗客に全く意識させず に通し運転を行なっている。黒崎駅前は黒崎駅に隣接した駅ビルの1F部分に到着するがJRとの乗換は5分程度の余裕はみておいた方がよさそうだ。

街中に突然高架駅が現れます。 豊直方駅 ここで高架がぶつっと途切れます。
JRの直方まで繋がっていないのが残念です。
地方私鉄で日中10分間隔は立派です。
黒崎まで340円、感田まで100円と大きく書いているものの、
よく見ると下に回数券を利用した場合との注釈。
ちょっと詐欺っぽい。黒崎まで380円と正直に書いた方が
いいように思えるが...
3000形 連接車 筑豊直方駅
黒崎駅前駅に到着 JR黒崎駅 地上駅のように見えますが実は
ペディストリアンデッキの上にある橋上駅舎になります。

黒崎からは快速門司港行きで門司港に向かう。八幡では昨年6月に言った帆柱ケーブルの軌道を遠くに眺める。小倉を過ぎ、乗客が半減すると、門司に到着、本州の香りがどことなく漂ってくる感じがする。そのまま列車は関門トンネルをくぐらず、小森江、終点門司港に到着。門司港駅は関門トンネルが開通するまでは門司駅として、開業し、本州からの鉄道連絡船を待ち受けていた。大正ロマン漂う駅舎は、今も現役で鉄道施設としては初の国指定重要文化財に指定されているのでも有名だ。列車から降り立った乗客は、0哩(マイル)ポストの前や駅舎前で、思い思いに記念撮影をしている。
この門司港にきたのは、昨年に開業していらいかねがね訪れたいと思っていた九州鉄道記念館に行くためである。

門司港駅 行止り式のホームが旅情を誘います。 813系 門司港駅
関門間を行き来するため交直流車の415系がたむろしています。 門司港駅といえばこの0マイルポストです。
駅舎内のみどりの窓口になります。古い書体の切符売場の
表示はちょっとわざとらしくてあまり好きではありません。
国指定の重要文化財に指定されている門司港駅です。
大正ロマンの雰囲気を今に伝える優美な姿です。

駅から歩いて数分。赤レンガの旧九州鉄道本社ビルが鉄道記念館として再生された。入場料は300円。入口には早速、キューロクことSLの9600形が出迎えてくれる。他に展示車両はC59、EF10、ED72、クハ481ボンネット、クハ581、なかでも一番の注目はキハ07であろう。戦前製で前面の流線型が非常に美しい気動車である。長年豊後森に保存されていたものだ。原型をとどめているキハ07系は、この1台ということで非常に貴重な車両である。また車内にも入れるが、土足厳禁。スリッパに履き替える必要がある。床は当然のごとく木で、座席も木製のボックスシートにブルーのモケットで本当に昔の汽車という感じがする。また、車内、車外ともよく整備しており、このキハ07に限らず、女性係員がこまめに、拭き掃除を行なっていて、どの車両も鏡のように光り輝いているのは好感が持てる。また、機関車以外の車輌の内部に立ち入れるのも良い。クハ481ボンネットはごく一部(急行能登)でまだ現役で活躍しているものもあるが、この車輌は元クロ481で側面窓が小さいタイプで貴重なものだ。クハネ581は普通列車用に改造された715系をそのまま色だけ元 に戻したもので、正式にはクハネ581とは違うが、581系の変遷が辿れてこれもまた良い。それにしても、最近、ようやく、車輌保存という文化が各地で芽生えてきたようで、全く喜ばしい限りだ。

九州鉄道記念館 横断幕が興味を惹きます。
九州鉄道記念館 案内板 九州鉄道記念館 入口
9600形
C59
EF10
ED72
キハ07 おそらく九州鉄道記念館のメインとなる展示車両です。 しかしよくこの戦前型の気動車が原型を留めた姿で残っていたものです。
車内の様子  運転台の様子 流線型なので、ちょっと狭くなっています。
サボ 反対側から
クハ481
車内の様子 まだ現役の車両もあるのでそんなに珍しくはない
ですが、クーラーには年代を感じます。
側面サボ
クハネ581
実は後年に普通列車として715系に改造されたものを色だけ581系に塗りなおしたものです。
側面サボ
セラ1239

さて、一通り展示車輌を見たあとは、本館を見て回る。入口にはいきなり復元した明治時代の客車が出迎えてくれる。手前の人形達も当時の鉄道の様子をよく伝えてくれている。この車輌の内部も入ることが出来るのだが、なんと、車内は畳張り。今で言うお座敷列車の先取りとでも言うのであろう。その他にはお決まりのトレインシュミレーター。HOゲージのパノラマ模型。(車輌はJR九州のものばかりで土日は毎正時ごとに運転)。2Fには信号装置、制服、ヘッドマークなどが常設展示されている。屋外には子供用のミニ電車の運転コーナーもあり、楽しめそうだ。ゆっくり見てまわったので、1時間半くらいかかったであろうか。展示車輌数はやや少ないものの、ここでしか見られないものもあるので、やはり、鉄なら一度は足を運んで欲しいスポットである。

九州鉄道記念館 本館
元九州鉄道本社、国鉄九州鉄道管理局、JR九州本社と
社名は変わっても、九州における鉄道の総本山としての
任を担ってきました。
入口には明治時代の客車と当時の情景を表した人形が
展示されています。
明治42年製の客車です。 車内の様子 椅子の部分は畳張りになっています。
タブレットキャッチャーや転轍機の展示 硬券の金型
通票閉塞の赤箱 歴代つばめのヘッドマーク
九州ゆかりのヘッドマークの展示 レールの展示
SLのナンバープレート 古い制服の展示
11系トレインシミュレーター HOゲージ 鉄道模型大パノラマ 九州の列車が休日は1時間に
1回走り回ります。
転轍機 ミニトレイン 子供が実際に運転できます。
旧0マイルポスト 昔はここが門司駅でした。

2005年夏 西へ向かう 後編
YOKOHAMA EXPERSS HOME TRAIN TRIP INDEX

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