北陸2005春 消えゆくものと生まれかわるものと 後編
和倉温泉からは9分の接続でサンダーバード44号に乗る。683系と681系それぞれの付属編成だけで組成された6両編成。自由席は1両しかないので、急いで乗換をする。日曜日で、和倉温泉からの特急は最終となるので、自由席はほどなく満席。七尾からは立ち客も現れる。車内放送でも指定席は満席との案内が入る。和倉温泉の大阪方面からの人気は未だ衰えずといったところだ。日もだいぶ傾き、遠くに夕日が見える頃、羽咋に停車。その後、宇野気(うのけ)にも停車する。宇野気には下り1本、上り2本のみ特急が停車するようだ。北陸本線とは本線横断で合流する津幡を通過するとまもなく金沢に到着となる。
683系サンダーバード40号 大阪方は貫通型先頭車です。 和倉温泉駅 | 和倉温泉方は681系の付属編成でした。 |
サンダーバード側面マーク | 側面愛称名と行先表示。愛称は幕ですが、行先はLEDです。 |
金沢で今晩の夕飯となる駅弁を物色。昨日加賀温泉駅で降りた時に目をつけておいた「かにすし」がここ金沢駅にも売っていたので、これを購入。金沢始発のはくたか23号に乗る。車種はホワイトウィングと呼ばれるJR西日本使用の681系である。しかし気のせいかはくたかに乗るとなぜか落ち着く。先ほどのサンダーバードは大阪行きで乗客は関西人ばかりで、車内に飛び交う言葉も関西弁だが、はくたかは越後湯沢を経由して上越新幹線東京方面へと接続するので、乗客は必然的に東京人がメインで、車内での話し言葉も標準語になるからだろう。富山までは30分ちょいで到着してしまうので、発車前からかにすしを食べ始める。本来は加賀温泉の駅弁なので、パッケージの裏には加賀温泉付近のイラストマップが楽しそうに描かれている。さて中身は、写真の通り。かにがふんだんに使われたかにの押し寿司になっている。もちろん、味も最高。18時30分を回り、あたりもすっかり暗くなり、真っ暗になった車窓をぼんやりの眺めながら富山に19時01分に到着。ここで、1度、今晩の宿泊先である駅前の富山エクセルホテル東急にチェックイン。エクセルブランドは東急インよりは少し格 が上、東急ホテルよりは少し格下でややビジネス的という感じのホテルだが、この季節の日曜日の宿泊、しかも会員になっているので、5900円という安さで泊まれてしまう。フロントでの応対も感じがよく、部屋のタイプも写真を見ながら選ばせてくれる。しかもオーディオの設備があって、ヒーリングのCDの無料貸出もしてくれた。通された部屋は、富山湾側というが、夜なので、景色は分からず、部屋はホテルなのにフローリングで靴を玄関で脱ぐタイプ。シングルルームだが、部屋は広めで、セミダブルのベッドにテーブルとソファーが入っている。
681系はくたか | 側面はくたかの「WHITE WING」マーク |
「はくたか」の愛称はシンプルに黒地に白抜きです。 | 加賀温泉駅の「かにすし」金沢駅でも販売しています。 |
中はカニをふんだんに使った押し寿司です。 | パッケージの裏は加賀温泉を中心にした イラスト観光マップになっています。 |
さて、夕食もすませてしまっているし、こんな時間からホテルに入っていても仕方ないので、恒例の夜の部へと出発する。北陸本線といえば、今や数少なくなった特急街道。とくれば、特急遊びをしないわけにいかない。とりあえず、富山駅へ戻り、19時49分発のはくたか18号を待つ。ところが、越後湯沢で接続する上越新幹線が遅れたとのことで、富山の到着も10分程遅れるとのこと。定刻だと5分後に出発するサンダーバード50号を先に出すので、お急ぎの方はサンダーバードに乗るようにとの案内がある。しかし681系のサンダーバードにはなぜか乗る気になれず、というか、先ほどまで散々乗っていたので、そのまま遅れているはくたかを待つことにする。待ち時間を利用して、ローカル列車や新潟行の485系北越なんかの撮影をして時間を潰す。この485系の北越は今時珍しくなった未更新車。ちゃんと幕のヘッドマークがついている。
北越 オリジナルの485系です。 | 北越ヘッドマーク 絵入りの北越のヘッドマークもLEDが大半を 占めるようになりなかなかお目にかからなくなりました。 |
419系 元583系の改造車です。 以前は東北、九州にもいましたが、今や北陸地区だけになりました。 |
413系 近郊型両開き2ドアの少数派です。 |
457系 | 特急街道を象徴するカラフルなぶら下げ式の乗車案内 富山駅 |
そうこうするうちにやっとはくたか18号の到着となり、やってきた列車はスノーラビットと呼ばれる北越急行車。しかも、先日、はくたかで唯一運用についていた東日本の485系の置き換えのために導入された683系。わざわざ遅れてきたはくたかを待った甲斐があった。車内はまだ新車の匂いがする。車内設備はJR西日本車とほとんど変わらないが、座席の色など多少違っているようだ。1本しかない車両を引き当てた嬉しさを噛み締めながら金沢には結局15分遅れで到着した。金沢からは遅れた時間の10分後の20時50分発のしらさぎ13号で富山へ戻ってくる。富山到着は21時27分。さすがにいい時間になったので、今日はここまでにしておく。ホテルに戻って、今夜は早々と床についた。
683系8000番台 北越急行車のはくたか「スノーラピッド」 | 側面「スノーラピッド」のマーク |
中間連結部分 | 683系付属編成は両端とも貫通型です。 |
いよいよ今日が最終日。カーテンを開けると今日もいい天気。11階の部屋からは富山市内が一望できる。真下には富山地鉄の市内線が走っているのが見えるのもいい感じだが、ゆっくり景色を眺める余裕もなく、さっさと支度をしてチェックアウト。今回もご多分に漏れず、最終日は大幅に予定を変更。本日、最初のターゲットは城端線。ということで富山駅からサンダーバード10号で高岡へ向かう。このサンダーバードは数少ない魚津発である。その前に朝食にと駅弁を仕入れる。富山の駅弁とくれば、当然ますのすし。サンダーバードは混んではいたが、車端部に座ることができた。しかしさすがに高岡までの13分でますのすしをたいらげられそうもないので、そのままたなえて高岡に到着。高岡から城端線。通学時間帯で列車は4両編成とローカル線にしては堂々とした豪華編成である。高校生が次から次へと乗ってくるが、ボックス1つ空いていたので、そこに座る。列車が発車してからさっそく富山で仕入れたますのすしにとりかかる。この駅弁、日本3大駅弁の1つだそうで、他の2つは横川の峠の釜飯。北海道森駅のいかめしだそうである。確かにますのすしは誰もが知っている。デパート 等の駅弁大会で常時出品される。良く売れていること。古くからあること。駅弁マーク付きそして、最後にもちろん美味しいこと。ということで文句なしにランクされると思う。箱を開けると、木製の容器が竹と輪ゴムによって井の字にきつく組まれており、これを解いて蓋をあけると、びっしりと笹の葉で包まれた本体が出てくる。これを1枚づつはがしていくとようやくピンクの色鮮やかなますのすしが現れる。この笹の葉、あとで数えると合計11枚も使っていた。もちろん、本物の笹の葉である。この緑の葉にピンクのますの身が実によく映え、食欲をそそる。切り分け用のプラ製のナイフが入っているのでこれでピザのように切れ目を入れて食べるが、何度食べても美味しいものは美味しい。城端線の車窓もそこそこにますのすしに舌鼓を打つ。ただ一つだけ注文をつけるならば、お醤油がついていればいいなってことくらいかな。
早朝の富山駅 | 683系サンダーバード10号 富山駅 |
城端線 キハ47高岡色 高岡駅 | ますのすし |
木の桶と竹で押さえられています。 | 笹の緑にますのピンクがよく映えます。 見てるだけでもおいしそうですね。 |
高校生達は林、砺波と自分達の高校の最寄駅でそれぞれ降りてゆき、4両編成の車内は閑散としてしまった。砺波といえば、チューリップが有名で、4月中旬ともなれば、ここらあたりは辺り一面チューリップ畑になる。鉄道ファン付録のカレンダーの4月は、何度となく、ここらチューリップ畑をバックに走る列車の写真が採用されている。とはいうが、まだ3月の始め、チューリップどころか、まだところどころに雪まで残っている。高岡から約50分程で終点の城端に到着した。
城端に到着 | 手前からキハ58+キハ53+キハ47+キハ47 |
城端駅 | この辺はまだ雪深いです。 |
城端駅構内はまだかなり雪が残っているが暖かい日差しのおかげで、排水溝にはすごい勢いで雪解け水が流れている。北陸にも確実に春が訪れている証である。折り返しもガラガラの4両編成、ここで編成を見てみると高岡方からキハ47+キハ47+キハ53+キハ58のいずれも高岡色と呼ばれる濃いピンク色の塗装だ。キハ53とは聞きなれない形式だが、要はキハ58を両運転台改造したものだ。行きとは反対側に腰掛けたため、行きとは違った風景が広がる。福光駅の駐輪場の建物には列車の絵が描かれていてなんかとても楽しそう。SLや客車は定番として、タンク車や郵便車まであるのはちょっとマニアック。(笑)。
キハ53 車番 | 福光駅 自転車置場 列車の絵が描かれています。 |
郵便車、タンク車もあります。 | 先頭はお決まりの蒸気機関車と奥は電車でしょうか。 |
高岡駅に戻ってきました。 | 反対側のホームには次の列車が止まってました。 |
高岡駅には9時45分に戻ってくる。次の氷見線は10時13分発なので、この時間を利用して、後で乗る万葉線のフリー切符を買いに行く。万葉線乗り場の案内を見ると、高岡駅の地下街のT.BLUEという店で売ってると言うことなので、地下街へ。しかしまもなく10時だというのに見事にシャッター通り。T.BLUEという店の場所はすぐに分かったが、こちらも10時からの開店ということで、しばし待つことに。しかし、10時を過ぎても、一向にオープンする気配がない。周りの店も同様。どうなってるんだろう。と思っていたら、10時5分過ぎ頃にやっとシャッターが開いて、無事1日乗車券を買うことができた。この切符「万葉線・如意の渡し1日フリー乗車券」というもので、後述する伏木−中伏木間の如意の渡しにも乗れるもので、値段は800円。さて、氷見線の出発時間が迫っているので、少々急ぎながら、氷見線乗り場へ。停車している列車は水色ベースの忍者ハットリくん列車。キハ40にハットリくんの図柄が全面ラッピングされた賑やかなもの。これは忍者ハットリくんの作者である藤子不二雄が高岡出身だからであろう。(確か、20年位前のNHKのドラマ「まん が道」でそういう設定だったと思う。)このハットリくん列車のデザインは日本海から飛び跳ねるブリにハットリくんがまたがってるというユニークなもので、子供達が喜びそうなデザインだ。しかし今日は平日ということでその子供達の姿は見られない。
氷見線 キハ40忍者ハットリくん列車 高岡駅 | 別角度から |
反対側はデザインが異なります。 | 氷見特産のブリが描かれています。 |
こちらにははっとりくん、シンゾウ、獅子丸がブリに跨っています。 | 反対側のホームは加古川線電化に伴いやってきた 加古川線色のキハ40がとまっていました。 |
1両の車内は意外と混雑。山側のロングシートしか空いていなかったので、ここに座る。先ほどの城端線とは反対側に分かれてゆき、乗車時間も25分程と城端線の半分だが、有名な雨晴海岸沿いを走るので、車窓風景には目を見張るものがある。また終点の氷見も最近はグルメ番組の影響でブリが上がる漁港として有名になり、観光客も多く訪れるようになっている。氷見では7分後の同じ列車で折り返す。今度は海側のクロスシートに座り、雨晴海岸をしっかり見てくる。
氷見駅 | 氷見駅 駅名標 |
車窓から見た雨晴海岸 | 伏木に到着しました。 |
伏木を出発するハットリくん列車 | 伏木駅 |
伏木まで戻ってきたところで、下車。ここから小矢部川を渡る如意の渡しという渡し船に乗る。かつては今、大河ドラマでやっている義経・弁慶も渡ったという古くからの交通の要衝だったようだ。運行間隔は15分ヘッドのようだが、お客がいれば、その都度、船を出すみたいな感じ。船と言ってもポンポン船のような小さな船だ。料金は200円だが、先ほど高岡で買った万葉線のフリー乗車券で乗ることができる。窓口のおばちゃんにそれを示すと、せっかく観光できたのだからと、別に半券とパンフレットを頂く。乗客は私と自転車ごと乗り込んだ外人二人。こんなとこに外人なんて珍しいなって思っていたが、どうもロシア人のようで、この界隈は日本海側ということで結構多いらしい。船の中の案内もロシア語が併記されており、船頭さんも、「スパシーバ」(ありがとう)とロシア語を話す。河口に近く川幅の広い小矢部川を約3分程で対岸に渡る。しかし今時、渡し船なんて...。確かに近くに橋もかかっていないし、実際地元の人にもよく利用されているようである。
如意の渡 伏木側 | この船で対岸に渡ります。 |
対岸に到着です。 | 如意の渡 中伏木側 |
さて対岸は新湊市になり、徒歩2分程のところに万葉線の中伏木駅がある。こんな駅に本当に電車来るのって思うくらい寂れて、人影もない駅だが、15分毎にやってくる。上下合わせると1時間に8本なので、かなりの本数だ。まもなく近くの踏切が鳴り、やってきたのはピンク色の広告車。運良く終点の越ノ潟行である。下り列車は2本に1本が途中の中新湊止まりとなっている。車内はこの時間帯の下りということでそんなには乗っていない。次に六渡寺で上り列車と行き違い、庄川口を出ると新湊市役所前に到着。役所は駅前150Mのところにあり、本当に近くて便利そうだ。新町口を過ぎ、次は中新湊。約半数の列車が折り返すこの駅で、乗客の大半が下車して行った。ここから先、日中は30分ヘッドになり、東新湊を過ぎ、海王丸。ここは海の貴婦人と称された昭和5年製の帆船、海王丸が展示されている海王丸パークの最寄駅である。
万葉線 中伏木駅 | 1時間に4本の運転は立派です。 |
中伏木 駅名標 | 中伏木に到着する万葉線 |
その次が終点の越ノ潟で11時41分に到着。中新湊からは1.5kmくらいでさほど距離はない。到着列車は4分後の11時45分に折り返すが、すぐに折り返してしまうのは味気ないので1本落とすことにする。その次は12時15分となる。とは言うものの何もない駅前で30分ぼーっとしてるのももったいない。駅前に唯一あるのが富山県営の渡し船乗り場。よく見れば、1日乗車券にも書いてあり、そこにはなんと無料の文字も。
越ノ潟に到着しました。 | 越ノ潟 駅名標 |
ということで乗り場にいくと、11時50分の出発。ということで早速乗り込む。先ほどの如意の渡しよりも大きくて立派な船。日中は万葉線に接続するように30分ヘッドの運航である。この渡し船は富山新港で分断された新湊と堀岡地区を結ぶものなのだが、現在、この区間に橋が建設中でこれが完成すれば、この渡し船は当然廃止になると思われる。実際乗ると本当に料金は無料。富山新港の先端部分を約5分で対岸の堀岡側へと渡る。地元客のほとんどが自転車持ち込みで、堀岡側に到着すると、再び自転車で、それぞれ、散っていった。この堀岡側にきたところでやることがないことは同じ。10分後の折り返しで越ノ潟へ戻る。遠くには海王丸も望め、短い海の旅を楽しむ。越ノ潟側には12時10分に到着。ちょうど、次に乗る予定だった12時15分発の万葉線に接続するようになっている。ということで、30分間を無駄なく過ごす事ができるので、万葉線で越ノ潟まできたら、この渡し船に乗ることをお勧めする。
富山県営渡船 越の潟発着場 | この船で富山新港を横断して堀岡側へと行きます。 |
渡船からの眺め ちょっと寒いですど気持ちいいです。 | 堀岡側に到着です。 |
堀岡発着場 | 時刻表 日中は30分ヘッドですが、いずれも越の潟で万葉線に 接続しています。料金は無料です。 |
現在、橋の建設中です。この橋が完成すると当然の事ながら 渡船は廃止されます。 |
海の貴婦人海洋丸も見えます。 |
船が到着してすぐにやってきた電車は黄色のオリジナルカラーの車両。これに乗り込んで出発を待つ。ここでちょっと万葉線について紹介しておく。数年前までは加越能鉄道として運行されていたが、ご多分に漏れず、少子化、モータリゼーションの影響で利用客が激減。バス転換、廃線の危機にさらされていた。普通ならこのまま廃止になってしまいそうなところだが、高岡市、新湊市の両市の沿線住民が中心となって、存続運動を展開し、両市と富山県を巻き込み、通勤・通学のために欠く事のできない生活路線であること。高齢者への交通手段の確保。(歳を取ったら自動車の運転ができなくなる。)環境に優しい交通手段であること。都市のシンボルとして街づくりに活用。定時制の確保。高岡・新湊の都市間輸送の担い手。など上げられ、第三セクター化により存続を決定した。ここで注目すべきは、行政による赤字補填が住民の大多数の同意を得ていることである。赤字の鉄道は必要なし。ではなく、税金を投入して赤字補填しても存続すべきという住民の同意があれば、行政も支援がしやすいということである。ということで加越能鉄道は見事に万葉線株式会社に生まれ変わって復活を遂げた。運
賃も値下げを行ない、乗りやすくした。終電が早いなどまだまだ問題も多いが、それでも、廃線の危機からよみがえりなんとか軌道に乗り始めた万葉線は注目に値する。そして、今回の復活の原動力となった住民運動とマイレール意識。鉄道の存続は結局はここにあると思う。いくらレールファンや外野が騒いでもダメ。沿線住民が本当に鉄道は必要、私達の鉄道という意識がなければなんともならない。今回、高岡ではそれが大きなうねりとなって、存続に成功したが、のと鉄道や同じく3月で廃止になる名鉄岐阜市内線、日立電鉄の沿線でこういう動きにならなかったのは残念である。万葉線についての取り組みは下記のホームページに詳しく掲載されているので、紹介しておく。
http://www.vl.takaoka-nc.ac.jp/racda/
越ノ潟に到着する万葉線 この黄色はオリジナルカラーです。 | 越ノ潟で出発を待つ |
上り列車は先ほどの下りよりは乗客が乗ってくる。行きに乗った中伏木までは専用軌道だが、次の吉久から併用軌道になる。併用軌道といっても、高岡市の郊外なので、古い町並みながらこの辺はまだ閑散としている。新吉久を過ぎ能町口からはまた専用軌道に戻り、氷見線をオーバークロスし、車庫のある米島口から再び併用軌道へ。ここからは広い道路になり、沿線も賑やかになってくる。乗客の乗り降りもそこそこあり、平日の昼下がりで15分ヘッドであることを考えると健闘している方だと言える。そして、運良くというか、この沿線にスーパーのジャスコ、市民病院、高岡市役所があることも強みであろう。方原町をでると交差点を左に曲がり400M程で終点の高岡駅前になる。高岡駅のターミナル内まで乗り入れている上、地下街の入口もあり、JRとの乗換は比較的便利だ。最後に付け加えておくと、北陸新幹線の新高岡が開業したら、万葉線を新高岡まで延伸し、市内中心部と新幹線のアクセスさせるという構想もあるそうで、そうなるとまた万葉線が活性化されるだろう。
高岡駅前に到着した万葉線 | 折り返しの発車に備えます。 |
万葉線 高岡駅前 JRの高岡駅のターミナルに乗り入れていて 乗り換えは比較的便利です。 |
JR高岡駅 |
高岡からは13時10分発のしらさぎ5号で富山へと戻る。ちょうど昼時ということで、乗車時間わずか12分というのに、駅弁を購入。昨日から店頭で見かけて気になっていた「ぶりかまめし」を購入。とにかく12分しかないんで、席に座るや否や即効で食べ始める。1匹から2つしか取れないブリのかまを使ったという触れ込みだが、実際、醤油で甘く煮付けられていて、かなりおいしい。御飯の上にわかめがしいてあり、そのうえにぶりかまがドーンと鎮座。付け合せは富山の名物である白海老の酢漬けが2匹。ただなぜかその御飯が酢飯になっている。できれば、普通の御飯の方がいいような感じする。なんとか富山到着までに食べ終え、しらさぎを降りる。このしらさぎは一昨年に485系から683系に置き換えられ、サンダーバードやはくたかと若干仕様を変えた2000番代。基本5両、増結3両とサンダーバードやはくたかより基本が1両少ないが、増結編成の両側貫通型を活かして、混雑時は5+3+3の11両編成で運転される。今日のしらさぎ5号も堂々の11両編成。ボディーにはヘッドマークがなくなったかわりに、しらさぎのシンボルマークがデザインされ、サンダーバード、 はくたかと区別するようにオレンジのラインが入っている。しかし、681系、683形、サンダーバード、はくたか、しらさぎもぱっと見では大きく変わるところもなく、少々つまらない印象だ。かつて485系一色だったときは、形式こそ、485系、489系だったが、国鉄特急色、スーパー雷鳥色、白山色、かがやき・きらめき色、東日本上沼垂色とバラエティーに富んでいて、愛称名の多さも手伝って、楽しいものだっただけに、愛称も統一され今はちょっと寂しい感じがする。もう少し各編成ごとにカラーが違っていてもいいと思うのだが。
683系しらさぎ 富山駅 | 683系しらさぎ 貫通型先頭車 富山駅 |
側面のしらさぎマーク 下のブルーにオレンジのラインが特徴です。 | 富山駅電留線に停車中の683系、475系、419系 |
ぶりかまめし | ぶりのかまの煮付けが丸々一個、御飯の上にのかっています。 |
富山からは、今回の最後の行程となる富山港線へと向かう。北陸新幹線開業を前に、JRから分離、LRT化されることが決定しており、富山〜下奥井間はルートが変わり、併用軌道になる。開業は2006年4月下旬ということで、あと1年程で様子ががらりと変わるので、その前に乗っておくことにした。朝晩のラッシュ時は457系3両編成が運用につくようだが、日中の閑散時は、電化路線なのに、高山線用のキハ120の単行が運用に入る。運転本数も1時間に1本と市街地を走るわりにはかなり少ない。これがLRT化されることにより、運転本数が日中15分ヘッドになるというから、利便性は飛躍的に向上する。さらに将来的にはJRの線路を越えて、富山地鉄の市内線にも乗り入れるという構想もあるようだ。こんな昼下がりなのに1両の列車はなぜか混雑。ロング部分になんとか座る。列車は北陸線の魚津方面に沿って進み、北陸線と分かれる付近の富山口に停車する。LRT化になると廃止になる駅である。そのまま左カーブでほぼ直角に向きを変える。次の下奥井までの間でLRTのルートと合流。以後はこの富山港線がそのままLRT化される。合流付近には奥田中学校前という駅が 作られる計画で、その他にも、ほぼ現在の各駅間ごとに新駅が作られる計画になっている。確かにこの沿線は富山の市街地なので、駅と運転本数を増やせば、それなりに利用客がありそうだ。
富山港線 電化路線ですが、 日中は高山線用のキハ120が運用に入ります。 |
LRT化で廃止になる富山口駅 |
富山口−下奥井間の奥田中学校付近から既存の富山港線の レールを使用します。 |
ちょうど競輪開催日だったので、臨時駅競輪場前に停車しました。 |
東岩瀬の次が終点の岩瀬浜となるところだが、今日は競輪開催日ということで、臨時駅の競輪場前にも停車する。ここで、どっと乗客が降りていき、混雑の理由が判明する。富山から約18分で岩瀬浜に到着した。そのまま折り返しに乗り、行きと同様、競輪場前に停車。勝ったのか負けたのか分からないが、また多くの客が乗ってきた。みんな浮かない顔をしているところをみると結果は思わしくなかったのだろう。(笑)。
岩瀬浜に到着です。 | キハ120は両端で色が違います。 |
岩瀬浜駅 ホーム側からみています。 | 岩瀬浜駅 木造駅舎がいい感じです。 |
ここで線路と架線が途絶えます。 | 駅舎からの眺め |
これで今回の予定はほぼ終了。あとは金沢まではくたかを迎えに行くだけだ。金沢へは、今回の鉄で乗っていない北越に乗るのだが、まだ少し時間があるので、駅ビルでお土産屋を物色。鯛の形をしたかまぼこなどまたまたおかしなものを仕入れたり、今晩の晩飯用の駅弁「ぶりのすし」を仕入れたりしたが、まだ時間があったので、駅前の富山地鉄の市内線乗り場へと向かう。さすがに乗る時間はないが、何枚か写真撮影。今度来たときはゆっくり乗ろう!
富山地方鉄道市内線 富山駅前電停 センターリザベーション方式で乗り降りしやすそうです。 |
市内線の主力7000系 富山地鉄のオリジナルカラーです。 |
屋根上の広告が古き良き時代の面影を残しています。 | ピンク色の富山自動車学校の広告車 |
就職情報誌の広告車 | 午後の富山駅 |
富山駅のホームに戻ると、偶然、EF81牽引のわくわくだんらんが入線してきたので、ついでに写真撮影。こうして思いもかけないところで、思いもかけない列車に出会えるというのも嬉しいものだ。
EF81に引かれたわくわくだんらんに出会いました。 富山駅 | わくわくだんらん |
ホーム反対側から逆行であまり良く撮れませんでした。 | わくわくだんらん客車部分 |
さて長岡からやってきた北越は東日本の485系3000番代のリニューアル車。前面はすっかり赴きがかわり、それと同じくして座席シートも新しくなっているのだが、所詮は485系。各所にガタが見られる。そろそろ新車でもと思うが大方、北陸新幹線開業まではこれで持たせるのであろう。
681系はくたかスノーラビット | 681系サンダーバード |
JR東日本485系3000番台 北越 | 金沢駅 鼓形の門と奥のガラス張りの部分がもてなしドームです。 |
そして、最後にやるお仕事が残っている。そう、北陸新幹線の進捗具合を見ることで、倶利伽羅トンネルを抜けたあたりから座席を左側にかわり、車窓からその様子を見る。トンネル工事が始まってる場所や、橋脚が建ち並び、高架橋まで完成しているところなど、工事は確実に進んでいるようで、金沢駅はすでに完成しており、あとはレールと架線さえ引けばOKという状態になっている。北陸新幹線が開通したら、この北陸の交通体系も大きく変わるだろう。どうなるか楽しみでもある。金沢でも1時間程時間を取ってあり、駅隣接の金沢百番街でお土産を買う。実は会社をさぼってきているので、会社の人たちにもお義理でお土産がいる。金沢と言えば和菓子ということで、ふじ井という店の加賀の曙を買う。加賀友禅風にピンクと緑に色がついた金箔入りの羽二重餅の間に白餡が挟んであるという贅沢なもので、少々値が張るが、まあ、サラリーマンの必要経費とでも言っておきますか。私の鞄にはまだ若干の余裕がございます。ということで、他にも金沢名産のかぶら漬けや生麩など購入。
北陸新幹線 建設工事の様子 | |
橋脚と橋梁部分がすでに姿を現しています。 | 北陸新幹線の看板も見えています。 |
この付近は橋脚が立ち始めました | この部分は橋梁も完成しています。 |
クレーン車と橋梁工事 | 橋脚部分と橋梁までできた部分と入り乱れています。 |
橋脚建設中です。 | 突然完成した橋梁が現れます。 |
ところどころにこんな感じで橋脚橋梁が現れます。 | まもなく繋がります。 |
クレーンが入っています。 | 北陸に夢を北陸新幹線の看板が見えています。 |
まもなく金沢駅です。この部分は軌道敷まで完成しています。 | 金沢駅向かって大きく左カーブします。 |
そろそろいい時間になり、ホームへ上がる。今回の大名旅行の最後の締めは、はくたかのグリーン車。グリーン車は一番後ろの1号車なので、ホームの端まで歩く。各乗車口には列ができているが、さらに先に進むと、この列車に乗り込む車掌に呼び止めらる。なにかと思ったら、「次のはくたかはここより先は止まりませんので、そちらでお待ちください。」と親切心で忠告してもらったのだが、私の答え「写真撮りたいんで」(笑)。車掌も「それならどうぞ。」という感じ。(笑)。土産物の紙袋なんてぶら下げていたし、カメラもちっこいIXYデジタルしか持ってないので、鉄には見られなかったのだろう。小松方から列車が入線。車両は北越急行681系のスノーラピッド。無事写真撮影を終えて、早速乗り込むが、座席に荷物をおいて、すぐにまたホームへ。今度は富山方の先頭車を撮るため6両分歩く。このはくたか21号は6両編成で越後湯沢方は貫通タイプになっている。やっとこさ席に戻って、コートを脱いだり、荷物を網棚に上げたりしているうちに出発時間になった。グリーン車は3列シートで、自分は1列の独立シート方。さすがに贅を尽くしたグリーン席。行きの489系のグリ ーン車とは全然違う。座席の幅もシートピッチもリクライニングの角度も申し分ない。あとはレッグレストがあれば言うことないんだが。そして、これまた意外にもグリーン席が60%程埋まっている。大方はビジネスマンだが、老夫婦、若夫婦、子供達という6人家族も乗っていた。
はくたか21号で帰路につきます。 | 681系スノーラビットです。 |
クロ681 グリーンマークは控え目です。 | 窓上のHOKUETSU EXPRESS▲のロゴマーク |
681系スノーラビット越後湯沢方は貫通型先頭車 | 先頭車にも同じマークがついています。 |
17時33分発はくたか21号は夕暮れの金沢を出発。富山を過ぎて、魚津、黒部、入善くらいまではなんとか景色も見えていたが、それ以降は景色も見えなくなった。景色が見えなくなったということで、夕飯にと仕入れていた「ぶりのすし」を食べることにする。最後の晩餐ということで、今回一番高い1300円を奮発した。ますのすしと同じ業者である「源」製で容器もますのすしと全く同じ。竹で押さえられていた木桶を開けて笹の葉をめくると蕪と人参に彩られたブリの押し寿司が出てくる。さすが、旬ということもあって味は絶品。さて、糸魚川で大糸線と別れ、直江津を過ぎ、犀潟からほくほく線へと進む。かつては北陸−東京間のメインルートは米原経由東海道新幹線だったが、上越新幹線開業後は、長岡回りになり、今やこのほくほく線経由で越後湯沢乗換が一般的になったが、これも北陸新幹線開業までの暫定にすぎない。その他にも高山線を抜けるルート。大糸線で中央線に抜けるルート、信越線のルート、さらに、夏場は立山黒部アルペンルートなど、様々なルートが存在し、行く度ごとに経路を替えるのもまた面白い。列車は減速しながらポイントを渡り、ほくほく線に入る。ここ から在来線最速の160km/h運転に入るが、夜のためかそんなスピード感は感じられない。もっとも160km/hは運転時間に余裕を持つためのバッファ的なものであり、常時160km/hを出すのではないようだ。それにしてもトンネルが多く。常にゴーッという音と共にトンネルの中を通ってるいる感じだ。そして、トンネルの出入り時には少なからず耳ツン現象が起きる。それだけ高速で単線トンネルに突入している証拠なのであろう。十日町に停車すると、また長いトンネルに入り、10分で六日町に到着。犀潟を通過してから30分ちょっとでほくほく線を駆け抜けたことになる。北陸地方では雪はところどころにあるものの、大した量ではなかったが、新潟県内に入るとその多さは尋常ではなくなった。軽く1階部分を越え、積雪は2m〜2m50cmと言ったところだろうか。3月に入ったこの時期としては近年まれにみる積雪の多さであろう。そのおかげで、越後湯沢へ向かう間にも、車窓にはナイタースキー場のオレンジ色の明かりがそこかしこに見え、8時を回るというのに元気なスキーヤーがまだ滑っているのが確認できる。越後湯沢には20時16分に到着。金沢から2時間43分かかった。
グリーン車の様子 3列シートです。 | 1人掛けのグリーン席 |
ますのすしと並ぶ名駅弁の「ぶりのすし」 | 同じく木の桶に入っています。 |
笹の葉にを明けると蕪がのったブリずしがでてきます。 人参のオレンジが鮮やかです。 |
ますとぶりの両方が2段重ねになった「ますぶりすし重ね」もあります。 こちらはお土産用にしました。もちろん、値段は倍します。 |
ここから20時27分発のMAXとき338号に接続する。乗換時間は11分でやや余裕があり、連絡改札口を取って新幹線乗り場へ、乗換客が車内で飲食するビール、おつまみ、そしてお土産類を買うため階段したにあるKIOSKに立ち寄る。笹団子や柿の種など新潟らしいものが並び、せっかくなので、浪速屋の元祖柿の種を購入。ホームへと上がる。入線したきた列車はE1系の新色。朱鷺色(薄ピンク)の帯が印象的だ。側面MAXロゴの横には中越地震からの復興を応援する「がんばってます新潟」のステッカーも貼ってある。はくたかからの乗り継ぎということで、このMAXときでもグリーン車へ。階段をあがり座席に付く。2+2の座席はゆったりとしているが、2階建てのため天井はかなり低く感じる、特に窓側は頭上に網棚があり少々圧迫感があるほどだ。それでも、3両を連結したグリーン車の乗車率も40%〜50%程度と比較的よく埋まっている。車掌が通りかかり、検札かと思ったが、JR東日本では指定券を自動改札を通した場合は検札が省略されるので、なにもなし。このシステム、本当にいいので、在来線でも是非進めて欲しいものだ。
越後湯沢駅 駅名標 在来線 | ホームに雪がこれだけ積もっています。 |
越後湯沢駅 駅名標 新幹線 | E1系 グリーン車の様子 2+2の4列シートです。 2階建てのため天井が低く特に窓側は網棚があるため やや圧迫感があります。 |
このMAXとき338号の停車駅は、高崎、大宮、上野、東京と、上越新幹線では標準的なものだ。越後湯沢を出ると速度が加速しきらないうちに大清水トンネルに入り、上毛高原を通過。駅名から分かるように群馬県に入ったわけだが、あんなに雪のあった越後湯沢とはうってかわり、全く雪がなくなる。関東平野の淵に入ってきた証拠である。ひときわ明るい街明かりが近づいて来ると高崎到着となる。高崎までくればすでに首都圏エリア。東京まであと少しという気がしてくる。新駅の本庄早稲田、熊谷と通過して、眼下に宇都宮線・京浜東北線が見えてくると大宮に停車。ここで3分の1程の客が降りて行った。大宮からは埼京線に寄り添いながら進み、並走する埼京線の電車を何本か追抜く。埼京線の浮間船渡を出ると荒川を渡り東京に入り、遠くに東京の夜景が広がるようになる。赤羽からは並走のパートナーが京浜東北に変わる。この辺はもう惰性で走っているという感じで新幹線本来のスピードではなくなっている。まもなく地下に潜り上野に到着。秋葉原付近で御徒町トンネルを出ると終点東京には21時48分到着。越後湯沢からは1時間21分という早さだが、金沢からは4時間15分。
さすがに時間がかかり、まだまだ飛行機の方が早いレベルだ。しかし北陸新幹線が出来ると約2時間半で到着することになり、完全に鉄道の圏内に入る。その頃が本当に楽しみだ。そんなわけで、今回の北陸紀行も無事終了した。
E1MAX グリーン車 朱鷺色の帯がきれいです。 | 東京に到着したMAXとき338号 |
MAXのロゴにがんばってます!!にいがたのステッカー | 引退したと思ってましたが200系の緑帯がいました。 今や貴重ですね。思わず写真を撮りました。 |
北陸2005春 消えゆくものと生まれかわるものと 前編 | |
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