北陸2005春 消えゆくものと生まれかわるものと 〜のと鉄道 能登線 穴水・蛸島間廃止〜
今月末でのと鉄道穴水−蛸島間が廃止される。廃止間際は廃止を惜しむ記念乗車組が大勢やってきて混むのが世の常で、元々は11月の初旬に訪れる予定にしていて、北陸フリーきっぷに、寝台特急北陸のソロ、そしてホテルの予約までしてあとは出発するだけになっていた。ところが10月23日に起きた新潟県中越地震で、上越新幹線、在来線とも不通に。計画が一気にパーになってしまった。上越新幹線も在来線も当面、復旧の目処がたたず、日程のリスケジュールもできないまま。なんとか年末には復旧したが、夜行の北陸は運休が続き、計画もたてられず、その上、今度は自分の仕事の都合でなかなか休めないという八方塞の状態が続いていた。そんな中、2月中旬から3月中旬にかけて、週末のみ、ほくほく線経由の臨時急行能登が運転されることになった。なんとか仕事にも都合がつき。3月4日の金曜日から出発することになった。(実際には、本当に出発できるまで仕事関係の調整で紆余曲折があったのだが。)
上野駅 発車案内「急行 能登 91号」 わざわざグリーンマークまであります。 |
発車までの待ち時間に撮影したE653系フレッシュひたち赤編成 |
651系使用のフレッシュひたちなんかもあったんですね。 初めて見ました。 |
489系 能登91号の入線です。 間合い運用のホームライナーのヘッドマークがついています。 |
本当は寝台特急北陸に乗りたかったのだが、運休では仕方ないし、復旧の見込みも立っていない様子。ここは臨時急行の能登でがまんする。発着時刻はほぼ同じだが、普段は長岡経由だが、臨時はほくほく線経由。列車名も能登91号となる。今回は、ちょっと大名旅行チックということで北陸フリーきっぷグリーン用を利用して、能登のグリーン車に乗り込む。489系国鉄特急色のボンネットなんぞ、今時化石のような存在で、しかも上野駅に乗り入れているなんて奇跡のような列車だ。上野駅夜11時。駅構内はまだまだ人の流れも多い。そんな中、能登の入線。入線時は前の運用のホームライナーのヘッドマークになっている。このヘッドマーク、看板式なのだが、半透明のアクリル板でバックライトにより明るく光る従来タイプではなく、不透明でバックはグレーの文字だけという味もそっけもないとってつけたようなものだ。しばらくすると係員がそのホームライナーのヘッドマークを外すと、後ろから燦然と輝く能登のヘッドマークが出現した。北陸が運転されていないため、北陸地区へ行く夜行列車はこの能登91号だけになるためか、指定席、自由席とも乗車口にはそこそこ列ができている。 写真も十分撮ったことだし、車内清掃も済んでドアが開いたので、サロ489に乗り込んだ。通路部分には一応赤いじゅうたんが敷いてあり、座席は茶色のモケットで高級感を出してる感じはするが、所詮、489系。かなりガタがきている印象がある。そして、驚くべきことに、このロ座にそこそこの乗車人員がいる。ざっとみた感じでは20名くらいだろうか。寝台の北陸が運転されていないので、寝台代わりにこの能登のグリーンという選択をした人もいるのかもしれない。23時33分、定刻通り、能登91号は滑り出すように出発したと書きたいところだったが、滑り出すは大嘘。付随車サロなもんで、前から引っ張られ、後ろから突っつかれるようなガクガクとした衝撃に挟まれながらの出発となった。経年40年近くたった古参の489系、そろそろ限界かな。グリーンの座席も、重厚な感じはしなくもないが、最近の新型車に比べると、ちょっとみすぼらしい。しかし座ってみると、はやりグリーン席。なかなか心地よい。ほどなく車内放送で、金沢までの停車駅案内が行なわれたあと、最近では珍しくなった、オレンジカードの宣伝。車掌がJR西日本の金沢車掌区担当だからであろうか。東日 本と文化の違いをちょっと感じる。デザインは夜行浪漫と題して、この急行能登と、寝台特急北陸がデザインされたものだという。ということで、検札があったついでに、早速購入した。
16番線の発車案内 | 乗車案内 臨時急行能登91号となっている |
489系能登 今もこうしてボンネット形が上野に乗り入れています。 |
能登のヘッドマーク 日本海の荒波と能登半島が描かれたデザイン |
さてこの夜行急行の能登は以前は高崎線の最終列車、通勤ライナー的な役割も兼ねていたが、数年前のダイヤ改正により、停車駅が大宮、熊谷、高崎と絞られて、通勤客と旅行客との分離を図っている。今回はグリーン車なので、高崎まで実際にどれくらい通勤需要があったかはちょっと分からない。高崎を出ると次は直江津まで停車しないとの案内。すでに時刻は午前1時を回り、車内が減光されると同時に記憶もなくなる。通常能登は上越線長岡経由なのだが、この91号は、現在、復旧作業中の上越線、越後湯沢―長岡間の走行を避けるために、臨時扱いで、ほくほく線経由で運転される。しかし、そのせっかくのほくほく線を通っている時も爆睡中。どうせ夜中だし、1駅も止まらないし、トンネルばかりだろうけど...。気がついたのはすでに富山県に入り、ようやく空が白んできた入善だった。富山到着前になると車内の蛍光灯がつけられ、放送も入る。やはりグリーン席だとよく寝られるということだろうか。新潟県内が雪のためだったのか、少し遅れているようだ。と思ってたら、富山をなかなか発車しない。なんと車両故障のため点検中だと言う。やれやれ。やっぱり489系はもう限界だ よな...。もたもたしているうちに、後から出発するはずの、しらさぎ2号を先に出してしまう。結局10分程停車したところでなんとか発車した。さらに高岡でもエンコ。今度はこともあろうか、普通列車を先に出してしまった。一応、こっちはこれでも急行列車だぜ。普通列車に追抜かれるって法はないだろう。ま、それは仕方ないことだが、ちょっと気になったのは、車内放送で、車両故障で点検中との案内は入るがそれ以外の案内が入らなかったこと。先ほどの富山でもそうだが、もし、後続列車に抜かれるなら、その旨を案内し、お急ぎの方は、乗り換えるような案内が欲しかった。ちなみに、富山でのしらさぎも、高岡での普通も同じホームに入線していたわけで、乗換はわけない。もっとも、自分は、金沢での乗り継ぎ時間にかなり余裕を持っていたので、そのままでも体制に影響はないので、のんびり、オンボロ489に付き合うことにした。高岡では、ブロアの音を激しく唸らせたあとに、ようやく発車。あとはなんとかこのまま金沢までもってくれと祈るよう走る。倶利伽羅トンネルを抜け、津幡で七尾線と合流すると、車窓左側に建設中の北陸新幹線の橋脚群が見えてくる。石動−金沢間 は90年代前半から着工していた区間なので、もうかなりの部分が出来上がってきている。まもなく、こちらも高架に駆け上がり、結局約20分程遅れての金沢の到着となった。
グリーンマークと方向幕 | グリーン車側面 |
サロ489−27 | グリーン車 車内の様子 赤い絨毯、茶色の座席と肘掛にまでついた白いカバーがそれなりの 高級感を出していますが、もはや時代遅れ的な感じがします。 |
金沢からは雷鳥8号に乗り継ぐ予定だが、遅れたとは言え、20分程時間があったので、一度改札口を出る。ここでお決まりのみどりの窓口でのオレンジカードあさり。石川県の祭りの4枚組、氷見線、城端線を走るハットリくん列車の2枚組などを手に入れる。ホームに戻るとすでに485系の雷鳥が入線。一昔前まで、北陸本線は特急王国=485系王国だったわけだが、485系は今や、この雷鳥と北越を残すのみとなってしまった。この雷鳥もいつまでも485系で残るとも思えず、いずれは681系、683系に置き換わることが予想されるため、乗っておくなら今が最後の時なのかもしれない。青地の雷鳥のヘッドマークも美しい。乗り込む前にお決まりの写真撮影。そして、朝飯のための駅弁調達。金沢一発目の食事ということでちょっと奮発して利家御膳にする。決め手は籠の形をした容器と懐石弁当風のきれいなおかずが気に入ったからだ。早速、車内に乗り込み、出発する前から弁当を紐解く。2段重ねで、御飯も瓢箪型の白米と梅型の炊き込み御飯の2種類で見た目にも楽しい。値段は1000円。朝にしてはちょっと贅沢か。
金沢に15分遅れで到着した能登91号 | 485系雷鳥8号 金沢駅 |
雷鳥 ヘッドマーク | 側面方向幕 |
利家御膳 籠の形をしたユニークなパッケージで値段は1000円です。 | 中身は2段重ねで下段は瓢箪型をした白飯と家紋の梅をかたどった かやく御飯。上は治部煮などの金沢ならではの料理が詰まっている。 |
今日はこのあと、福井まで行って、福井鉄道と廃線から見事に復活を遂げたえちぜん鉄道に乗りに行く。しかし北陸フリーきっぷの範囲は加賀温泉までなので、ここで1度特急を降りて、各駅停車で福井へ向かう。このまま特急で乗り越しても良かったのだが、特急券は730円で乗車券と合わせると1300円。そんなに急がなくても、十分予定に間に合うので、今回はちょっと節約。
加賀温泉−福井間は570円。券売機で切符を購入。天気の方は日本海側ということで心配していたが、回復中という感じで、薄日もさしている。昨日降ったであろう雪も残っているが、これは、東京で降ったのと同程度もので大したことはない。
後からきた普通列車は元急行型の457系。土曜日だが、高校生がかなり乗っている。最近、地方の鉄道はこの高校生で持っているようなもので、粗末にしてはいけない。
しかし次の大聖寺では、さっそく特急(しらさぎ54号)に抜かれる。また、臨時特急(サンダーバード80号)も運転されるとのことで、2本抜きの上、時刻変更もあった。
加賀温泉を発車する雷鳥 | 加賀温泉駅 駅名標 |
加賀温泉駅 | 457系 大聖寺駅 |
福井からは、まずは福井鉄道。福井駅前から軌道線として出るのだが、正面の中央大通りではなく1本左にずれた通り、しかも、200Mくらい離れているのでやや分かりにくい。福井駅は駅前広場が大きいのでここまで乗り入れてくれるとよいのだが、途中、道がやや狭く、今のままではちょっと難しそうだ。そして路面のくせに、車両が路面タイプではなく、中型の普通の電車で、いきなり道の真ん中に電車が鎮座しているのでちょっと驚く。パステルカラー調の塗装が目につく元名古屋市1100系を改造した600形。あまりにも奇抜な塗装で広告車かと思い気や、広告などもなく、どうやらこれがオリジナル塗装らしい。天気も回復し、春の日差しに昨日降った雪も溶け出し、足元がぬかるむ中、乗り場へと進む。1両の車内は他におばちゃんのお客が1人いたきりでロングシートの車内はがらんとした印象だ。まもなく発車時間になりゴロゴロと出発し、まもなく駅前からの中央大通りと合流する大名町の交差点に出る。ここを右に曲がり市役所前に到着。このまま直進すると田原町に行くのだが、この電車は武生新行なので、ここでスイッチバック。進行方向を変える。ぽつぽつと乗客も乗ってく る。このまま、福井市内を軌道で進む。途中気九頭竜川の支流の足羽川を渡る幸橋では、橋の幅が狭いのか、橋の上流部分に鉄道専用橋が架けられていて、電車はここに至る急曲線を苦しそうに迂回する。川を渡ると再び、路面に戻る。木田四ツ辻を出たところで、道路から左に反れて専用軌道に入る。その後は、北陸線と約1kmほど離れたところを平行に進む。北陸本線からはやや距離があるのと、駅がこまめにある、福井市内と武生新間の運賃が390円と低廉。そして、運転本数も20分ヘッドと地方ローカル私鉄にしては高頻度の運転本数が故に、それなりの需要が見込めているようである。またショッピングセンターの名称をそのまま駅名にした「ベル前」や、音楽堂の愛称である「ハーモニーホール」などちょっとバス停チック的な駅名であるが、それだけ地域密着型であることが言えよう。その後も北陸線とは付かず離れずと言った感じで進むが、西武生を出たところで、急に北陸線に寄り添い武生駅の少し手前の武生新が終点となる。西武生から武生新にかけて、福井鉄道の車庫があり、バラエティーに富んだ車両を見ることができる。
福井駅 昨日の雪が残っています。 | 福井鉄道600形 福井駅前 |
武生新駅は外観はきれいなビル風でちょっと立派な感じがするが、改札口から発着番線あたりは、ローカルな雰囲気が漂っていていい感じである。改札口で頼んで車内で買った補充券を記念に貰ってしまい、さらに、記念に、硬券の入場券も買ってしまった。北陸線で福井に戻ってもいいのだが、滅多に福井鉄道なんかに乗る機会もないし、そのまま、福井鉄道で折り返す。福井鉄道ではこちらが上りのようなもので、各駅から福井に向けて、乗客が乗り込んできて、そこそこ車内が賑わう。土曜日だし買い物なのか、ベル前での下車も見られた。この電車は福井駅前は通らず、そのまま田原町に直通する。市役所前で下りて福井駅前まで歩いてもたいしたことはないのだが、ちゃんと接続の福井駅前行が来て、乗換ができるようになっている。左手にレトロ調の福井地方裁判所を過ぎると、裁判所前駅になり、次が終点の田原町である。田原町駅はえちぜん鉄道とほぼ一体化になった駅で乗換も容易。福井鉄道の線形を見ると、昔は京福電鉄(→えちぜん鉄道)に直通していたのだろうか。
武生新駅 | 武生新駅 改札口付近 LEDの発車案内もあります。 |
武生新駅に留置されている古参120形 | 武生新駅で発車を待つ田原町行600形 |
ここからはえちぜん鉄道に乗る。2000年12月と2001年6月の2度の正面衝突事故で全線運休、そして京福電鉄が廃止を表明してから、約2年のブランクを乗り越えてえちぜん鉄道として復活したのだ。本来なら、廃止、止む無しとなるところだが、住民、行政が一体化となって鉄道の復活、存続を選んだのだ。決して、営業環境はよいとは言えない場所で、大変な苦労をしてまで、あくまでも鉄道存続に固執し、そしてそれを勝ち得た原動力は一体どこにあるのだろうか。とにもかくにも、今、やたら、廃線になってしまう地方鉄道が多い中、えちぜん鉄道のような存在は、これからの地方鉄道のあり方のヒントのようなものがあるように思われるし、また、こういう存在はレールファンから見ても頼もしい。もちろん一回乗ったきりでは到底分からないだろうが、その一端でも垣間見られればと思う。えちぜん鉄道側の田原町駅には委託のおばちゃん駅員がおり、彼女から1日フリーきっぷを買う。このフリーきっぷ800円で全線乗り放題だからかなりお得。ちなみに、福井−三国港の片道運賃が750円である。単線のため福井行の電車をやり過ごすと、数分後に三国港行の電車が入ってきた。 サボには赤字に白抜きで「アテンダンド」とある。なんだろう?って思って乗り込むと。女性の車掌が乗務しており、笑顔で、出迎えられる。しかもなかなかの美人である。そして、「目的地までごゆっくりおくつろぎ下さい。」との声がかけられる。これだけでも、新幹線のグリーン車のパーサーに出迎えらた雰囲気で心地よい。この女性車掌。車内改札は行なうが、ドア扱いは一切行なわず、運転士が行なう。よって、車掌ではなく、アテンダントというわけである。確かに、いてもいなくてもよい存在なのかもしれないが、車内の雰囲気がよくなり、高齢者の乗り降りの手助けを行なうので、乗客からは概ね好評のようだ。また、運賃収受を行なうので、乗り降りもスムーズ。ということは遅れが発生しない。運賃の取りはぐれもない。という営業的なメリットもある。電車は田園風景の中をあわら湯のまち付近までJR北陸線とは西側に約3km程離れたところをほぼ平行に進む。このあわら湯のまちの手前で大きく西へと進路を変える。あわら市(芦原市から改称)の中心街はJRの芦原温泉駅付近になるが、温泉街は、このえちぜん鉄道の「あわら湯のまち」の方が近い。数名乗っていた観光客もここ で降りて行った。そのまま西に進み、三国町の中心である三国を出ると、次が終点三国港となる。
えちぜん鉄道田原町駅 | 田原町駅は福井鉄道とえちぜん鉄道の駅が隣接しています。 こちらは福井鉄道側です。木造で渋い造りです。 |
えちぜん鉄道 路線図と運賃表 | MC2201形 元阪神の車両 単行で片側3ドア車です。 |
観光客の多くが降りるが、駅前にはそれらしき雰囲気もなく、駅前にはバスも乗り入れてはいない。観光客は帰りの電車の時刻を確かめると、それぞれ、狭い路地へと消えていった。しかしなんとももったいない。ここから全国的にも有名な観光地である東尋坊までは3km程だが、東尋坊の観光協会や東尋坊タワーのホームページを見ても、交通は車か、JR芦原温泉駅からバスまたはタクシーということになっていて、えちぜん鉄道の「え」の字も出てこない。三国港は最寄駅となるわけで、ここから連絡バスを接続するなどして観光客の足として機能させて欲しいところ。それから、バスでのツアー客を取り込むような施策もあっていいと思う。せっかく福井駅から電車が出ているわけだから、市内のホテルに泊まった客はえちぜん鉄道で三国港へ行ってもらい、そこからバスに乗り換えるような感じ。一定の人数が集まっていれば、定期列車の後ろに貸切車両をぶら下げてもよい。幸い、えちぜん鉄道には愛知環状鉄道からクロスシート車を導入しているので、この車両なんか使えそうである。最近はバスだけで回るツアーよりも、多少金額が高くなっても、鉄道を利用するツアーにも人気があるようで 、普段乗ることのないローカル地方鉄道に乗るというのがかえって新鮮で、ウケるのではないかと思う。そして福井駅には、大きく、「東尋坊へはえちぜん鉄道で!」みたいな看板も欲しいところ。三国港では11分停車の後、そのまま同じ列車で折り返してくる。行きに気になっていたのだが、車内の網棚付近に液晶のテレビが4台取り付けられている。シャープ製でぱっと見はちょっと高そうだ。なにか観光案内でもするのかなって思っていたが、行きは動作しなかった。ところが帰りになると、番組が始まっている。なにかと思えば、福井県警提供の振り込め詐欺防止のPR番組。騙される手口を各ケースごとに3本のドラマ仕立てで再現しており、なかなか凝ったもの。思わず見入ってしまった。ということでせっかくの田園風景の車窓もあまり見なかった。(笑)。防犯対策も結構だが、せっかく、高い設備を取りつけているわけだから、他にも使用して欲しいところ。観光案内はもちろんのこと、例えば、山手線のE231系のように、CMを放送して、使用料を取るとか。
三国港駅に到着したMC2201形 | アテンダントのサボ |
三国港駅 | 車内に設置された液晶テレビ |
さて、行きの乗車した田原町を通りすぎ、福井口へ。福井から出た列車はここで三国方面と勝山方面に分かれるえちぜん鉄道の要所だ。奥の方には車庫も広がっている。ここから勝山・永平寺線に乗り換える。こちらもアテンダンドの乗務した列車。三国あわら線同様、のどかな風景が続く。途中、永平寺口は元「東古市」駅で、ここから永平寺線が分岐していたが、5年前の正面衝突事故で運休になり、そのまま廃止になってしまった。永平寺という観光地の最寄駅だっただけに、残念な気がするが、京福の全線が廃止の危機にさらされたことを思うと、最小限の切り捨てに済んだと考える方が無難だろう。しかも永平寺線は元々、収益が悪く、何年も前から廃止の話しもあったので、やむを得ないところもある。今ではここからバスで永平寺に連絡する。線路の方は、右に分かれて、少し行くと途切れている。とは言うものの、永平寺という全国に知られた観光地をうまく生かせなかったのは口惜しい。
福井口駅の車庫 | 永平寺口駅 右手に元永平寺線が分かれていきますが、 まもなく途絶えます。 |
勝山駅 恐竜の模型があります。 | 勝山駅に到着したMC2101形 元南海の車両で 片側2ドアです。 |
列車はそのまま、勝山へ向かうが、昨晩はグリーン車とはいえ、やはり寝不足だったようで、窓から差し込む陽光も心地よく、いつのまにか眠ってしまった。で、美人アテンダントにいきなり「お客様、終点です。」と起こされて、ちょっと恥ずかしい思いをする。(笑)。
勝山はなぜか恐竜の町らしく、駅前に恐竜のモニュメントも鎮座している。どうやら、近年勝山で恐竜の化石が次々と発見されたからのようである。この勝山駅、実は中心地からやや離れており、駅周辺はちょっと寂しい雰囲気が漂っている。中心街は九頭竜川を挟んだ対岸で、かなり長い勝山橋を渡ったところになる。こちらには、郵便局や市役所など、それなりに体裁の整った街になっている。ざっとあたりの一周して、30分後の列車で福井へと戻るべく、再び勝山駅へ。勝山駅には、パークアンドライドや、1日乗車券などえちぜん鉄道になってからの新しい取り組みのポスターが何点か見られる。なんとか効を奏して欲しいところ。印象としては、1日乗車券は好評のようで、車内で観光客と思しき人が手にしているのをよく見かけた。こうして、観光客が少しでもマイカーから電車にシフトしてくれるといいのだが。
九頭竜川の眺め | 勝山のお祭り左義長が行なわれる尊光寺 |
勝山駅 駅名標 | 勝山駅で出発を待つMC2101形 |
パーク&ライドとレンタサイクルの案内 | 1日乗り放題きっぷの案内 |
列車は1時間かけて元きた道を辿り、福井駅に到着した。今回、えちぜん鉄道の福井駅には初めてだったが、JRと駅は隣接しているものの、反対側のやや寂しい方で、JRの連絡口には自動券売機もなく、窓口が1つあるだけ、6分後にくる、14時32分サンダーバード21号に乗りたいので、少々慌てるが、窓口には、えちぜん鉄道からの乗り継ぎ客は数名列をなして乗車券を求めている。やっぱり、行きに切符を買っておけばよかった。窓口だとオレンジカードも使えないし。なんとか北陸フリーきっぷに接続する加賀温泉まで、乗車券と自由席特急券を手に、ホームへと急ぐ。そういえば、昼食もまだで、かなりお腹もすいているので、まもなく列車が入線と放送が入るなか、やきかにめしを購入。サンダーバード21号は683系の堂々の12両編成。6+3+3で基本6両の方が富山行で3+3の増結の方が和倉温泉行になる。今日は和倉温泉に泊まるので、和倉温泉行の方に乗るが、自由席車は1両だけ。ぱっと見、空いてる席はなさそうなので、とりあえず、となりの富山行の方に行く。席が空いていて、一度は腰掛けるが、どうも喫煙車らしく、匂いが気になる。列車が発車して、少し落ち 着いたころに、もう1度、和倉温泉行の方を見に行くと、幸い座席が空いていたので、そこに落ち着いた。ということで、早速、やきかにめしの包みを解く、かにめしと同じ容器だが、こちらは越前ガニの足が4本、殻付きでのっかっている。身をほぐさなければならないので、食べるのにはちょっと面倒だが、味はなかなか。下の御飯もかにみそを使って炊き込まれており、ほんのりとカニの香りがする。列車の方は、芦原温泉を過ぎ、左手に金色の観音像が見えてくると加賀温泉、小松と停車する。次の金沢からは福井行と和倉温泉行に分かれるため、車掌から頻繁に分割の案内がある。金沢到着5分前から分割準備作業に入り、6号車と7号車の通り抜けが出来なくなるそうだ。そして、福井から46分で金沢に到着。多少、乗客が入れ替わる。ここで福井行と切り離す。和倉温泉行の方が前に連結されているので、福井行を残して、そそくさと出発。
えちぜん鉄道福井駅 | 焼かにめし パッケージ |
蟹の形をしたプラ容器に入っています。 | 中身は殻付の蟹足が4本とほぐした身と栗1つ、漬物が カニみその炊き込みご飯の上にのっています。 |
津幡までは北陸線を辿る。津幡から右に分かれて七尾線へ。15年程前までは、非電化ローカル線だったが、今や、特急も乗り入れる路線へと脱皮を図った。とは言うが、単線だし、北陸本線を走ってるときよりは速度は落ちる。途中、羽咋(はくい)に停車し、ビジネス客が降りる。金沢から約1時間走ったところで七尾に到着。ちょっと訳ありで、自分もここで降りる。降りたのは他でもない、和倉温泉駅では発売していないのと鉄道の1日乗車券を購入するためだ。土日祝日に限って使用できる1日乗車券は1700円。七尾から蛸島まで、正規の片道運賃が1950円だから、片道しか使わなくても元がとれてしまうというかなりお得な乗車券だ。七尾駅のJRのみどりの窓口でのと鉄道の翌日からの1日乗車券と頼むと、奥にいるのと鉄道の社員を呼び出すので、少々時間がかかると言う。6分後の列車に乗りたいと言うと、「次のに乗るって!」とせかしてくれたおかげで、なんとか購入できた。七尾−和倉温泉間はJR西日本とのと鉄道が供用している。正確には、JR西日本が1種で、のと鉄道が2種ということになる。のと鉄道車のディーゼルカーに乗り、1駅とは言うものの、5.1kmで 所要時間は7分かかる。先ほど七尾で降りたサンダーバードに遅れること7分で和倉温泉に到着。本日はここでピットイン。
683系サンダーバード | のと鉄道 和倉温泉駅 |
今晩のお宿は和倉温泉から徒歩12分の温泉旅館「のと楽」。温泉旅館ってなかなか一人では泊まりにくいし、どうしても割高になるのだが、この「のと楽」には、新しく別館が立ち、ここはホテルスタイルで、シングルルームもある。しかも温泉などは、本館と供用できるものだ。土曜日なので、少し割高だが、食事を付けて1泊2食で1万2000円程。とは言うものの、初めてなので、どんなとこかと思っていたら、かなり大規模で立派な佇まい。ロビーには鯉が泳ぐ池なんかもある。案内された別館は、オリエント調で、部屋も大きめで、オーシャンフロントまではいかないが、ほぼ正面に海が見える。天井にはリゾート地にありがちなファンが回っていて雰囲気もなかなか良い。では、明るいうちにさっそく本館の大浴場へ。ちょうど土曜で夕食前ということで、団体さんが大勢入っていて、かなりの混雑。洗い場も順番待ちという感じなので、とりあえず、露天など3種類の湯船を転々と。洗い場の空きを待っていてもらちがあきそうもないので、別館の最上階にも大浴場があると案内されていたので、浴衣を羽織って、移動。こちらは、本館に比べるとやや狭いものの、先客は2人。細長い展望露 天風呂になっていて、海を眺めながら入る温泉はかなり気持ちいい。ということでこっちに移動して正解でした。個人的には本館よりもこっちの方が落ち着いていい感じだった。さて、食事はちょっと遅めの7時にしてもらい、一人指定された食事処へ。こういうときは、一人というのはちょっと侘しい感じがするが、運ばれてくる料理は、この時期とくれば、当然、松葉ガニを始めとする日本海でとれる海の幸。選択で寿司コースにしたので、握りずしも6貫ほどついてくるという豪華なもの。食事が終わったあとは、インターネットで申し込んだので、その特典としてラウンジでのコーヒー券を貰ったので、食後にコーヒーなぞ飲んで、ちょっと贅沢な気分に浸る。夜は、ちょうど土曜日ということで部屋に戻って、ベッドに寝っころがりながら「ごくせん」を見る。でもって、寝る前にもうひとっ風呂浴びて、今日のところはこれでおやすみ。
和倉温泉駅 | のと楽 泊まった部屋 窓からは一応海が見えます。 |
翌日は、朝6時に起床。早速、朝風呂に入りに行く。8時11分の列車で蛸島へ向かうので、オープンと同時の7時に朝食会場でバイキング。7時半にはチェックアウトして、駅へと向かう。今日もいい天気で鉄日和。
和倉温泉駅ではすでに数名の鉄がのと鉄道目当てにカメラを構えている。ちょうど反対側に「くつろぎ」のヘッドマークを掲げた回送列車が入ってきた。自分も写真を撮りながら、蛸島行を待つ。ほぼ定刻通り入線してきたが、その列車を見て驚いた。噂には聞いていたが、ものすごい混雑。座るなんてとんでもない状態。やっぱり、廃止間際なんかに来るもんじゃないな...。って今回は中越地震で延期したんで、仕方ないんだけど。しかし、これから、2時間近く立ちかよ。客層は鉄もいるのだが、大半は、記念乗車組のおばさん連中。車内もおのずと賑やかだ。次の田鶴浜を出ると海岸線を走る。日本海側の荒波を想像するがこのあたりは能登島に挟まれた七尾湾になり波も穏やかだ。能登中島には、廃止区間にあたる甲から移設された今や貴重な存在の郵便車「オユ10」が留置されている。30分程で穴水に到着。
やすらぎお座敷列車 和倉温泉駅 | ヘッドマークアップ |
ここから先がこの3月末で廃止になる。この穴水からは4年前の同じ日、輪島まで通じていた輪島線も廃止になっており、能登半島の鉄道はここですべてが止まってしまう。4月以降はバスへの乗り継ぎ駅として再整備されるとのことである。しかし、4年前にも同じことを感じたが、能登半島や輪島なんて場所は、全国的に名の知れた観光地で、最初に輪島線廃止を聞いた時は、正直なぜ?って思った。特に輪島は朝市や輪島塗で有名だし、メジャーな観光地なはずで訪れる人もそれなりに多いはず。その観光客のうちなぜ少しでも鉄道へシフトできなかったのだろうか。最近、ローカル線が廃止になるときは、少子化やマイカーへのシフトと社会的要員を言い分けにするが、本当にそれだけなのだろうか。もちろん、それも大きな理由だが、ただお客を待っているだけで、営業努力が足りなかったのではないだろうか。例えば、行きは、金沢・和倉温泉方面から蛸島へ抜けて、そこからバスで半島の西側を回り、輪島へ到着。そこから再び、列車で金沢方面へと戻るルートやその逆周りといった周遊コースがあればいいだろうし、1時間に1本程度の列車を運行させれば、九十九湾小木などで途中下車して観 光することも可能だったはず。しかし、なにも手が打たれないまま、ただ客が減った赤字になったと言って、廃止になってしまうのは、ちょっと納得がいかない面もある。やはり第3セクターだと、経営責任が曖昧だとこういう積極策や企画はできないのだろうか。現に社長も元石川県のお役人だ。もう少し、石川県の悪口を言わせてもらうが、北陸の中心都市、金沢という変なプライドがあるのか知らないが、石川県は鉄道にはちょっと冷たい。北陸のそれぞれの県都である福井、金沢、富山で、市内交通手段がバスしかないのは金沢だけだ。福井は前述したように、福井鉄道が市の中心部を通っているし、えちぜん鉄道も廃止の危機からなんとか立ち上がっている。富山も、富山地方鉄道が市内線を走らせている。また富山港線はLRT化の計画もある。隣の一回り小さな高岡でさえ、万葉線を見事に蘇らせた。しかし、金沢だけが、市の中心地にある兼六園にも香林坊へもバスじゃないと行けない。金沢駅から北陸鉄道の浅野川線が出ているが、中心街とは反対の海側に行ってしまうし、石川線にいたっては、せっかく中心地付近の野町まで来ているが、尻切れトンボというか頭切れトンボのようにそこから 先がない。市内交通としてガイドウェイバスとかLRTという構想もあるようだが、構想だけで、具体的な計画は未だにない。北陸新幹線があと10年後以内には開通するわけで、それまでには何らかの方針を立てて欲しいところだ。話しはさらに脱線するが、ここ穴水の北東10km程のところに2003年7月に能登空港が開港したのだが、なんかこの空港と引き換えにのと鉄道が廃止になったようにも思える。現在羽田へのみ1日2便が飛んでいるが、本当にこの空港必要だったのだろうか。北陸新幹線開業後、東京−金沢間のアクセスは2時間程度になり、対東京のアクセスの大半は新幹線にシフトされ、現在、羽田−小松や羽田−富山の飛行機便も大幅な減便または廃止が予想される。確かに、金沢から能登の各地までは若干時間がかかるが、なぜか後先を考えずにとりあえず、作ってしまったという感じがしてならない。
九十九湾小木駅に到着 | 九十九湾小木 駅名標 |
九十九湾小木駅 | 和洋折衷というかコロニアル風というかとにかく特徴ある駅舎です。 |
団体列車が到着。九十九湾小木駅 「ありがとう能登線」のヘッドマークがついています。 |
反対側には「乗って残そうのと鉄道」のヘッドマークですが、 今更虚しい標語です。 |
さて、話を本題に戻す。列車は穴水を出ると、再び海岸線へ。車内からは歓声と溜息が漏れるほどの絶景が広がる。本当にこんな風光明媚な路線が観光路線として生かせないのが残念で仕方がない。車内は一向に空く気配もなく、小一時間程で九十九湾小木に到着。この時期、遊覧船(12月〜3月が運休)は運航していないが、このまま立ち続けるのも疲れてきたので、ここで下車。観光地のはずだが、降りたのは数名だけ。やはり遊覧船が運休なためだろうか。確かに能登半島の3月はまだ冬真っ只中だし、海も荒れていて、観光シーズンとはいえないのかも知れない。しかし、こうして、のと鉄道関連での最後の集客の時なのに、今日のようないい天気の日も運休というのはどういうのだろうか。せっかくのビジネスチャンスをことごとく逃しているようでならない。もう少し鉄道と沿線地域、観光業者が一体となって活動していけば、こんなことにはならなかったと思うのだが。九十九湾小木駅自体は観光地らしく和洋折衷のおしゃれな駅舎で、中部の駅100選にも選ばれている。委託のおばちゃん駅員がいるが、彼女は切符を売るのみで、集札は行なわず、下車するときも、車内の運賃箱で精算をす ますのがルールのようだ。九十九湾の入口あたりをぶらっと一回りした後に、駅に戻ると、臨時の貸切列車が到着していて大賑わいになった。貸切の乗客は、その後バスで目的地に向かっていった。待合室が落ち着いたところで、窓口のおばちゃんから、硬券入場券やら、記念乗車券やらいろいろ買ってしまう。なくなってしまうのだからということも手伝って、全種類の記念乗車券を買ったら相当な金額になった。せっかく1日乗車券で安く乗ったが、ここで散財しては元の木阿弥。せめても、のと鉄道の収益につながれば幸いである。
鵜川に停車中の上り列車 | 鵜川駅 駅名標 |
鵜川駅 | ホームの様子 |
こんなレトロな駅名標もありました。 | 七尾方面を眺めています。 |
このあとの蛸島行の列車は2時間程こないので、1時間後に来る穴水行に乗って、少し戻る。こちらも混雑はしているが、なんとか座れた。何処まで戻ろうかと思うが、有人駅と思われる鵜川で下車したが、土日は営業してないらしく、入場券が購入できずに、残念。こんなことなら宇出津で降りた方が良かったかな。しかし、のどかな駅で、一人っきりで列車を待っていると、本当にここに列車が来るんだろうかという気さえしてくる。事実、来月からは待っても列車はこないのだが。40分程待って、下り列車で、今度こそ蛸島へ行く。この列車もかなりの混雑で座れず。だったが、宇出津で偶然席があき、座ることができた。宇出津からは約1時間程で終点蛸島に到着。ほとんどの客が蛸島まで降りることなく乗っていたので、記念撮影組などもいて狭い蛸島駅は大変な混雑。臨時で駅員が出て、記念乗車証のなどの販売もあった。駅舎内の伝言版には廃止を受けて、乗客が思い思いのメッセージを書き込んでいるが、この中の「団体中年女性のマナーが最悪」というのにはワラタ。というくらい、なぜかおばちゃんのグループが多く訪れている。普通のパックツアーでは飽き足らなくなったのだろう。折 り返し時間はわずか8分。慌しく、写真撮影など行ない、発車となる。
運転台の様子 | 車内 運賃表 |
終点蛸島に到着です。 | 蛸島駅 駅名標 |
蛸島駅 | ホーム側から 臨時に記念品売り場が出ていました。 |
駅舎の外に腕木式信号がありました。現在は使用されていません。 | 珠洲駅に到着しました。 |
折り返し列車は2つ先の珠洲止まり。珠洲からは1時間待ちで、同じ列車がそのまま穴水行となる。というちょっとよく分からない運用。珠洲は現在は奥能登の拠点駅のようで、駅前も広く、タクシーも何台か待機しているが、廃線後はどうなるのであろうか。珠洲では時間に余裕があるので、ゆっくり写真撮影を行なったり、硬券入場券を買ったりできた。駅に隣接されている車庫には最近出番がなくなったのと恋路号が入っている。せっかくいい車両があるのに、これを有効に使いこなせなかったのも残念である。今後、この車両はどうなるのか、廃車になるのか、別会社に譲渡されるのか分からないが、第二の働き場所があって欲しいと願うばかりだ。さて、一通りやることはやったので、混雑を予想し、早めに列車に戻り、とりあえず、座席を確保しておく。車内で出発を待つが、突然、「まもなく反対側のホームに団体臨時列車が到着します。写真撮影をされる方は、運行に支障のないようにして下さい。」と放送が入るや否や、皆、一斉にカメラを持ってホームへ走っていった。(笑)。おいおい煽ってどうする。と言いながら、自分もホームに出て写真を撮った。(笑)。でも、自分は列車が停車 してから撮影しているし、ちゃんとマナーは守っているつもりだが。
珠洲駅で出発を待つ穴水行 | 珠洲駅 |
珠洲駅 駅名標 | 珠洲駅 車庫 |
のと恋路号が入庫しています。 | 先ほど九十九湾小木で出会った団臨に珠洲でも出会いました。 |
列車は発車時刻になるとやはり混雑してきて、ロングシートはぎゅうぎゅうの状態。立ち客も出しながらの出発となった。これで本当に最後になる能登線をのんびりと1時間半かけて穴水まで戻ってくる。途中、恋路などの景勝地を眺めつつ、さらに、乗客は増え、穴水に到着するときは、通勤列車なみの混雑となった。穴水からの接続列車の七尾行も2両編成だが、混雑が予想されるため、急ぎ足で乗り換える。なんとかロングシート部分に座れる。この列車も途中から地元客も乗り込んできて、かなりの混雑の中、30分程で和倉温泉に到着した。
恋路駅と恋路海岸 | 宇出津駅 駅名標 |
能登中島 駅名標とオユ10 | 廃止区間の甲駅から移動してきました。今や貴重な郵便車です。 |
北陸2005春 消えゆくものと生まれかわるものと 後編 | |
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