松山・高松 瀬戸内紀行 前編


2001年10月5日(金)
8月の下旬からやたら、大鉄が続いているが、これが、今回の総決算ともいうべき、四国鉄を敢行する。来年6月に、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が開通することを知っていて、何もこの時期にって思うかもしれないが、実は本来の目的は鉄ではなく、松山で行われる学生時代の友人の結婚式に出席するためなのである。

仕事は速攻で片付けて、東京22時ちょうど発のサンライズ瀬戸に乗る。3連休なので、松山延長していれば、いいものを、従来通りの高松止め。そして、たまには、気張ってA個室に乗りたかったのだが、こちらも発売1ヶ月前の10時に行ったにも関わらず、売り切れということで、B個室のシングルを利用する。ちょっと思うように行かない結果だったが、それでも、サンライズには初めての乗車なので、楽しみではある。

そしていつもと同じ様に指定券は持っているものの、出発の30分程前にホームに到着。ちょうど、21時30分発の湘南ライナーが出発する間際である。なんだ、ガラガラじゃんって思っていたら、後の方は満席。そうだ、湘南ライナーは前の方は新橋や品川から乗ってくる客のために空けてるんだよな。その後、しばらくは、東京駅を発着する列車を目的もなく眺めながら、サンライズの入線を待つ。この列車は、サンライズ瀬戸とサンライズ出雲の併結列車で、電光掲示板が瀬戸になったり、出雲になったりと、せわしく、切り替わる。

東京駅で出発を待つサンライズエクスプレス サンライズ瀬戸 高松行

発車の15分程前になり、ようやく、285系サンライズエクスプレスの入線。堂々の14両のオール2階建てはさすがに迫力がある。自分が乗るサンライズ瀬戸の方は西日本仕様の0番代である。といっても、ほとんど違いは分からないのだが。適当に写真を撮ったあとは早速、個室へ。本当は2階の方が良かったけど、持ってる個室は1階。1ヶ月も前に取ったのに。って思ってたが、どうも、サンライズも所詮は寝台。下段つまり1階から売るようになっているようだ。個室の内部は、ベッド幅ぎりぎりで、入り口に靴を脱ぐスペースがかろうじてある程度。一見、狭そうに見えるが、寝るだけなら十分だ。入り口は暗証番号で鍵がかかる仕組みになっている。室内灯は暖色系で、天井もベッド上で座っても、頭がつかえることはない。もちろん立つスペースはないが。設備としては、シーツ、枕、毛布はもちろんのこと、浴衣、紙コップ、スリッパ、ハンガーが備わっており、NHKラジオと目覚まし時計の設備がある。帰りに乗ることになるのだが、従来の開放式B寝台とは、かなりの格差がある。強いて、要望があるとすれば、ベッドが折りたためて、椅子になれば、出発は22時で寝るには少し早 い時間なのだから、ゆっくり車窓を眺めることができるのに。なんていいながら、実は、今日、会社でいろいろトラブルがあって、疲れたせいか、平塚までは覚えているが、なんとなく、横になってるうちに、寝入ってしまい、その後の記憶はない。

B個室 シングル 毛布、枕はもちろん、浴衣、紙コップ、そしてしおりが用意されている。


2001年10月6日(土)
列車の振動で目がさめると、4時過ぎの京都である。まだ、外は真っ暗だ。向日町あたりまで、ぼんやり外を眺める。東京地区では見られない、車両を見ると、遠くまで来たもんだと思ってしまう。しかし、まだ4時。さすがに眠いし、起きてしまうのもまだ早すぎるので、もう一寝入り。結局、うつらうつらして気がつくと、淀川を超えて、大阪に到着する直前であった。ということは、ほとんど寝てないってことだ。まあ、無理に寝ることもないし、今日は、友人の結婚式に出席するため、とりあえず、さっぱりしたい。ということで、3号車のシャワー室へ。まだ5時前だというのに、先客がいたため、ラウンジでしばし待つ。ロビーカーと違い、カウンターバーのような感じで、あまり居心地のいいとこではない。さて、やっと自分の番になり、シャワー室へ。ロックをして、車掌から310円で買い求めたシャワーカードを挿入する。中は脱衣場とシャワー室に分かれており、脱衣場にはドライヤー、シャワー室には、ボディーソープとリンスインシャンプーが備えつけられている。お湯の出る時間は連続6分。途中、止めることができるのは、他の寝台列車のシャワー施設と同じである。6分間とい うと短いように思うかもしれないが、体を洗って、髪を洗っても意外に十分の長さである。

さっぱりしたあとは、寝台に戻り、なんとなく、横になって、少しづつ明るくなりだした、車窓を眺める。ちょうど、秋祭りの頃になるのか、姫路から岡山にかけての田園風景の中に、何本もの紺色の幟が、そこかしこにあがっている。岡山からサンライズ出雲と分かれて、瀬戸大橋線に入るが、どこで遅れてきたのか、10分延だ。児島をでると、4年ぶりの瀬戸大橋。これから約15分をかけて、四国へ渡ってゆく。鉄骨越しに、朝日に輝く瀬戸内海を眺める。しかし、プロジェクトXのネタにもなっていたが、本当に、よくぞ、こんな橋をかけたものだ。このおかげで、東京から1本で四国に行けてしまうのだから、本当に便利になった。さて、実はこれから松山に行くのだが、本当は坂出で松山行特急いしづちに乗り換えるのが普通らしいが、高松まで行っても同じ列車に乗れるので、そのまま高松へ行くことにしていた。しかし、高松では、乗り換え時間はわずか、13分。10分近く、電車が遅れていると、乗り継げない可能性もあるが、回復運転のおかげで、高松到着は5分遅れにまで短縮していた。高松駅は、最近、リニューアルされたばかりで、非常にきれいな駅である。そんな高松に、昨日 の乗車時とはうって変わって、パリッとスーツ姿で降り立つが、あまり時間がないので、慌てて下車したサンライズの写真を撮ると、そそくさと次のいしづち5号松山行に乗り込んだ。予讃線は伊予市まで7年程前に電化が完了しており、振り子制御付き8000系電車特急が快走する。途中、宇多津からは岡山からの「しおかぜ1号」と併結。いしづち5両。しおかぜ3両の堂々8両編成である。座席の方も程よく埋まっている。ここまで利用率が高ければ、やはり四国新幹線を作るべきなんて馬鹿なことを思ったりもしたが、気が付くと、線路は単線区間に入っていた。(笑)。そんなことを考えつつ、やはり昨日の寝不足がたたったのかほとんどの全線にわたり、寝て過ごす。

8000系予讃線特急「いしづち5号」 松山までやってまいりました。


まだ半分寝ぼけながら、松山に10時4分に到着。松山は4年前に宇和島から高松に移動するときに、乗り換えのみ、その前となると、もう10年ぶりくらいになる。駅がどんな感じだったかも忘れてしまっていた。結婚式は12時なので、まだ2時間近くあるので、オレンジカードを買ったり、駅の中の土産物店などを散策。よほど暇そうに見えたのか、いきなり、「少し時間ありますか?」と呼び止められる。えっ、キャッチセールス?って思ってたら、さにあらず、JR四国の駅員である。なにかと思ったら、よりよいサービスを目指すためにアンケートに答えて欲しいとのこと。どうせ、暇だからってことで、言われるがままに席につく。せいぜい、10問くらいでしょうって思ってたら、とんでもない。延々、10ページくらいありやんの。はあ..。(溜息)。内容は駅での対応、言葉遣い、特急列車について、各駅停車について、窓口での対応の仕方など、多岐にわたっていた。で、貰ったものは、JR四国のロゴ入りのボールペンに、四国のパンフレット類。あまり嬉しくないけど、ま、いいか。そんなこんなで、いつのまにか、時間になり、タクシーで式場へ。

さて、無事披露宴も終わり、2次会まではまだ時間があるので、一度、宿泊先のチサンホテルへ。松山城のお堀の脇で、しかも、伊予鉄市内線の本町線に面してるという最高のロケーション。こんないいロケーションで、そのまま、ホテルでのんびり過ごすわけもなく。早速、出かける。本町線は単線で、しかも、20分ヘッドの運転という、市内線の中では閑散とした線だが、とりあえず、道後温泉方面へと電車に乗ってみた。1回150円均一というのも安いがもっと驚いたのが、1日乗車券がたったの300円ということである。つまり、往復してしまえば、元がとれてしまう。ということで、停車中に運転士から買い求める。ただし、この1日乗車券、あまり宣伝していないし、車内でも購入できるという案内もないので、気が付かない場合もあるようだ。せっかく、こんなにお得な切符があるのだから、もっと宣伝すればいいのにって思ってしまった。後から、気づいたのだが、実は今年の4月に170円から150円に、1日乗車券は460円から300円に値下げが実施されたようである。このように、最近、運賃をさげて、利用者減少に歯止めをかけようという動きが各社ででてきており、伊予 鉄も例外ではない。言い方は悪いが、価格破壊が鉄道運賃の分野まで広がってきたのである。
さて、最初は松山城にでも行こうかなって思ってたけど、さすがに夕方で時間もないしってことで、とりあえず、終点、道後温泉まで、揺られることにした。温泉に入る時間はないが、土産物屋を覗いたりと、その辺をぶらぶらして戻ってくる。

伊予鉄市内電車 道後温泉にて 道後温泉駅
道後温泉 本町六丁目行 1002号 道後温泉にて


そして、今晩は2次会どころか、予想外の3次会まで出てしまい。ホテルに戻ったら、バタンキュー。


10月7日(日)
今朝は6時起きで大きな荷物は宅配便で自宅へ送り、いよいよ、本格的な鉄活動に入るため、7時に出発。今日の予定は、伊予鉄潰しと、松山市内観光。まずは、市内線でネックになりそうな本町線から、ちょうど、ホテルが本町3丁目なんで、とりあえず、本町6丁目方面へ行く。そこから環状線に乗り換えて、市駅(松山市駅)へ向かう。

本町線の終点 本町六丁目 道路の真ん中で線路が途切れる こちらは環状線の本町六丁目 
この地点で本町線と線路は交わってはいない。
また、単線であるが、このホームには古町経由しか停車せず、
逆周りの電車は、このホームを通過して、道路を越えた反対側の
ホームに停車する。

環状線のこのあたりは、単線ながら、専用軌道になっている。運転本数も10分ヘッドと使いやすい。小さなプラットホームで待つこと、2、3分。ノタノタとやってきた電車に乗り込む。古町(こまち)では、郊外線との総合駅になっていて、構内には、平面クロスも存在するが、斜めに交差しているので、後述する大手町ほどのインパクトはない。一見したところ、架線電圧の違いもあるだろうが、郊外線と市内線の線路が互いに行き来できるような線はないように見える。また、郊外線、市内線ともに、車庫があり、ここが伊予鉄の一大基地になっている。そして、宮田町を過ぎると、環状線は専用軌道をはずれ、路面へと投げ出される。ただし、松山の場合は、自動車とレーンが分かれており、自動車は右左折以外、ほとんど、軌道敷に入ってくることはなく、比較的スムーズな運行が保たれている。JR松山駅を過ぎると、伊予鉄のハイライト、大手町の郊外線との平面交差に差し掛かる。古町とは違い、道路上で、ほぼ、直角に複線のダイヤモンドクロスが存在する。現在、日本ではここ松山でしか見ることができない鉄の名所である。しかも、市内線、郊外線ともに、比較的、頻繁に電車がやって くる。そのダイヤモンドクロスをカチャ、カチャというジョイント音とともに通過する。環状線は西堀端から市駅の1駅区間が盲腸線になっており、右回り、左回りとも、市駅が起点になっている。

市駅前(松山市駅)に到着した54号 な、なんとこれが松山市駅 地方鉄道にしてはあまりにも立派!
この上は伊予鉄百貨店。
東京や大阪の大手私鉄のターミナルばりの豪華さである。
そして、改札口付近には各方面別の電光掲示板の時刻表まである。 松山市駅名表

市駅前には、まもなくオープンする立派な伊予鉄百貨店があり、その1階部分が郊外線の駅になっている。地方私鉄とは思えないほどの立派なコンコースには電光の発車案内と自動改札機がずらりと並ぶ。郊外線には1日乗車券なる鉄にとって便利なアイテムはないようなので、その都度、切符を購入することになるのだが、ここで、「い〜カード」という1000円のプリペイドカードを購入。この1000円の「い〜カード」は、1100円分利用できるので、1割お得だ。手にしたカードをパスネットと錯覚してそのまま改札機に入れようとしてしまったが、さすがに、そこまでは対応しておらず、券売機で切符を買う仕組みだ。とにかく電光の案内で一番先に発車する電車に乗るべく、切符を買った。まずは郡中線。郡中港へ。やってきた電車は伊予鉄オリジナルのステンレス車体の新車610系。ラッキー!いきなりついてる。電車は今日、明日にでも刈り取られるであろう黄金色に染まった水田の中を進んでいく。終点郡中港駅は道路を挟んでJR予讃線の伊予市駅のすぐ近くになる。ここで、いつのまにか、松山市から伊予市に来たことに気づく。

伊予鉄最新型 610系 郡中港にて
平成6年のオリジナル車両だが、
実は側面は東武20000系と共通設計である。
郡中港駅
こちらはJRの伊予市駅 キハ185−3000番代 松山にて

休日ダイヤのせいで、折り返しまでかなり時間もあるし、せっかくなので、帰りはJRを使って、松山まで戻ることにするが、今回の周遊きっぷは「高松・松山ゾーン」なので、範囲外となり、切符を買う。伊予鉄が450円だからそれより安ければ、ラッキーと思って運賃表を眺めると、なんと260円。うわ、まじ、安い!最近、JRって本当に安いんだね。昔は、私鉄と平行してる場合は、きまって、私鉄の方が安かったもんだけど。こう思うと、やっぱり民営化は正解だったのかな。しかし、これだけ格差があると、伊予鉄の方が心配だ。まあ、日中は伊予鉄は15分ヘッドなんで、運転本数で勝負をかけているのであろう。さて、伊予市では1000系気動車が来るのかなって思っていたら、なんと185系3000番代。特急型車両を普通列車タイプに改造した車両だ。こんなとこで特急型に乗れるなんて、これまたラッキー。乗り込んでみると、ほとんど、特急時代のまま。ただ、座席だけは、特急時代のものを使っているが、向かい合わせに固定され、リクラインニグも廃止されている。とはいうものの、快適なことに違いない。30分程各駅特急に揺られて、松山に戻ってくる。再び、市内電 車で松山市へ行く。このあと、横河原と高浜へ行くとなると「い〜カード」がなくなるんで、市内電車内の「い〜カード」発売機で買い求める。今度は、松山市からは今度は横河原を目指す。やってきた電車は正面2枚窓湘南スタイルの、元、京王2000系の800系。色こそ、伊予鉄カラーになってるが、これが、ライトグリーンになれば、当時の京王線。本当に懐かしい。ただし、なぜか、横河原方の先頭車のみ、2枚窓の顔。高浜方は京王5000系の顔になってる。なぜだろう...。

800系 京王2000系そのままの正面2枚窓の湘南型 高浜方は中間車改造のため貫通型の京王5000系の顔がついている。
横河原駅 瓦葺の屋根が赴き深い いかにも、田舎駅の終点

折り返しは、1本落として、やってきた車両は元京王5000系の700系。これで乗りたい車両に一通り乗ることができた。本当は旧型車がまだあるらしいけど、定期運用はないみたいだし、今回はこれでよしとしよう。さて、これから高浜までは少し長い道中ってことで、先頭の展望席ポジションに構えることにする。(笑)。駅ビルの松山市を過ぎ、郡中線と分かれて、高浜線へと進んでいく、そして、大手町、今度は郊外線から、ダイアモンドクロスを通過する。ガチャ、ガチャと独特の音を立てながら、通過する。そして、この後、本当に、ここ、伊予鉄?って光景に出くわす。なんと、複線のまま、真新しい、高架橋に上っていくのだ。まるで、東京近郊のニュータウン路線のようだ。おそらく、松山市との共同で、踏み切り解消のための連続立体交差事業だったんだろうなと思われる。これを見ると、伊予鉄はしばらく安泰なのかな。運転本数だって、日中15分ヘッドだしね。

運転台から見た高架線 松山市方面を望む

さて、電車は海に面した、梅津寺に到着。近くには遊園地があり、1組のカップルが降りて行ったが、日曜日というのに、遊園地自体は閑散としたものだ。カップルで思い出したが、ここ伊予鉄の梅津寺駅はかつてのトレンディードラマの草分け的存在である東京ラブストーリーの最終回の舞台になったことでも有名である。ずっと東京の大都会を舞台としていて、突然、この田舎の風景になり、すごく新鮮な印象があった。あの当時は鈴木保奈美も織田裕二もまだういういしくてよかったなあ...。って自分もまだガキに毛が生えた程度だったけど。(笑)。もうあれから10年以上たちますか...。梅津寺をでると、次が終点の高浜。松山観光港へはバス連絡となるが、実はここ高浜駅前にも、立派な港がある。

高浜駅 高浜駅名表

今度はそのまま、同じ列車で折り返し、ダイヤモンドクロスを過ぎて、大手町で降りる。そう、ダイヤモンドクロスをじっくり観察するためである。適当にパシパシ写真を撮って、再び、市内電車で、大街道へ。

古町のクロスポイント 郊外線の線路を市内電車が横断している。 斜めに走る線路が市内電車の線路
複線の郊外線の線路を平面に交差している。
そして大手町のダイヤモンドクロス 市内電車と郊外電車が平面で、しかも垂直に交差しています。
市内電車は5分おき程度、郊外電車は15分ヘッドなので、
このような光景はほぼ1日中見ることができる。
そして、交差部分。縦が市内電車、横が郊外電車です。
市内電車、郊外電車とも複線なので、4つのダイアモンドが存在する。 どうです。この見事なダイアモンド!

少しは観光もしなきゃということで、松山のシンボルである松山城へ行ってみる。大街道から歩くこと、5分。松山城へ行く、ロープウェイのりばに到着。ここで、ロープウェイ往復と松山城の入場料込みの1000円のチケットを購入。ちょっと高いって気もするが、すべてコミコミなら仕方なかろう。実は、ここから、山上までは、ロープウェイと並走でリフトもある。多くの観光客はリフトに乗っていくようだが、鉄の俺としては、やっぱり、リフトよりロープウェイ。(笑)。改札口で係りのおばさんにチケットを渡すと若い男がロープウェイの方に乗るのが珍しいのか、「リフトでなくてよろしいですか?」と聞いてくるので、「ええ、ロープウェイの方に乗りたいんです。」と少々、小恥ずかしく答える。リフトは待たずに乗れるので、結構、盛況のようだが、ロープウェイは15分に1本のためか、あまり乗客はいない。それに、こんないい天気では、実際、リフトの方が気持ちよさそうだ。でも、やっぱ、俺はロープウェイ!(笑)。おかげさまで、小さなゴンドラ内に申し訳なさ程度に備え付けられてる椅子に座れることができた。ロープウェイは動き出すと、速度的にはリフトより早く、並 走するリフトをどんどん追い越す。リフトの客も、一様にこちらを見てる。ちょっと優越感。(バカ!)。山上駅からは天守閣を目指すが、ここからも、結構きつい坂が続く。なんだよ。だったら、上までロープウェイ作れよ。これじゃ、なんのために、高い金払って、ロープウェイ乗ったんだかわかりゃしない。と、聞く人もいないのに、ブーたれながら、坂道を上っていく。やっとの思いで天守閣へ、しかし、お城っていうのはどこもそうだけど、階段がやたら狭くて、急である。かも居も低いし。昔の人はよくここを毎日上り下りしたものだと感心してしまう。さて、最上階からの眺めはさすがに、松山市を一望できる絶景。殿様はここから、城下の繁栄を願いつつ見ていたのであろう。さて、階段というのは実は上りより下りの方が大変なわけであり、急な階段を手すりにつかまりながら、ずり落ちてゆく。ほんと、足踏み外したら、まっさかさまだよな。お城を出たとこで、少々、時間があるので、市内が一望できるベンチに座ってしばし休憩。帰りも、行きとは違ったゴンドラに乗るため、またまたリフトではなくロープウェイで下る。今になって気が付いたが、荷物もそこそこあってやや重いので、 かえって、そういう意味からも、リフトよりロープウェイでよかったのかもしれない。俺、ドンくさいから、リフトに乗ったり、降りたりするとき、こけそうだもんね。(笑)。

松山城へ上るロープウェイ 松山城
天守閣からの眺め JR松山駅前 55号

城下に戻ってきたが、まだ、1時過ぎ。これからどうしよう。もうとくにこれと行った用もないんだよな。ってことで、とりあえず、市内電車潰し方々、環状線鉄砲町経由でJR松山駅にでて、そこから、アンパンマン列車に乗ることにした。ちょうど、14時12分のしおかぜ22号・いしづち18号にアンパンマン列車が充当されている。まずは、大街道から、逆回りで進む。道後線とわかれると、単線の専用軌道に入っていき、赤十字病院、鉄砲町と過ぎていく、昼下がりというのに、小さな車内は、ほどよく、客で埋まってる。路面とはまた違い、生活の匂いのす路地裏あたりを軒先をかすめるように、電車は進んでいく。いかにも、地方のローカル私鉄という感じがなんともいい雰囲気である。
JR松山駅につき、そういえば、昼食もまだだし、お腹も減ってきたんで、駅弁屋を覗く。坊ちゃん弁当なる変わった弁当があったんで、とりあえず、それを買って、アンパンマン列車の入るホームを行く。途中の跨線橋にはアンパンマン列車のポスターが貼ってあり、新しい、仲間も増えたと書いてある。JR四国も力をいれてるようだ。その中で目についたのが、不気味な紫色のボディーに、「おいらの列車もあるよ」とバイキンマン号の写真も載っている。おいおい、バイキンマンまであるのかよ。どうせ、俺は悪役のバイキンマン号にあたるんだろってこのとき、思ってしまった。(笑)。アンパンマン列車は2000系気動車を使用しているため、宇和島直通列車に運用が限られている。さすがに、日曜日で、この列車目当ての子供連れが今や遅しとアンパンマン列車の入線を待っている。まもなく、高松方から、宇和島行の下りしおかぜ・いしづちアンパンマン列車が7両編成で入線。ホームで待つ子供達は、もう興奮状態。「ママ−っ、アンパンマンだ!!!!あれにのりたーいっ!!!」そこかしこから歓声が聞こえる。一方、ママは、「だから、これから乗るんでしょ。静かにしてなさいっ! 」てな感じ。子育ては大変ですね。(笑)。さて、その下りアンパンマン列車、7両でやたら長いな。このまま、宇和島に行くの?って思ってたら、案の定、後2両を切り離した。そうこうしてるうちに、こっちのホームにも、宇和島からのしおかぜ・いしづち号アンパンマン列車が入線。子供達の興奮はピークに達する。こちらは短い5両編成。って思ってたら、先ほど、下り列車で切り離した、2両編成も高松方から入線してくるではないか。そうか、そういうことか。ここで、2両を下り列車から上り列車に付け替えるわけだ。増結作業が終わり、堂々7両編成になったアンパンマン列車に乗りこんだ。自分の乗り込んだ車両はクリームパンダ号。バイキンマンじゃなくてやれやれ。やっぱ、俺、まだ悪人じゃないもんな。(笑)。しかし、こういう列車って、外見とはうらはら、車内は意外と普通の列車と変わらないものだが、この列車も、特に、変わった様子はないなと思って、席に座って気が付いたが、出入り口付近の天井に大きな、アンパンマンのシールが貼ってある。なかなか工夫してある。目的地は特にないのだから、どこで降りてもいいし、このまま高松に行ってしまってもよいが、まだ高松 に移動するには時間が早過ぎるってことで、次の今治で降りることにした。次とは言っても40分近く、走るのだが。さて、今治で、今乗ってきたアンパンマン列車を撮影しようと、ホーム先端に言って、走り去る列車を見て、びっくり仰天。な、なんとバイキンマン号だったのである。どうせ、俺にはバイキンマンがお似合いだよ!かなりふてくされるながらも、バイバイキーンと走り去る列車を写真におさめる。

宇和島からの「しおかぜ・いしづち」アンパンマン号の入線 各車両にはアンパンマンのキャラクターが描かれている。
客室の天井に描かれたアンパンマンとクリームパンダ そして、これがバイキンマン号!

今治は、最近、開通した本州側尾道との連絡橋「しまなみ海道」で有名な場所だ。すぐに、下りの特急で、再び、折り返すのだが、40分ほど、時間があるので、駅の土産物やをぶらぶらする。ここで、初めて、今治の特産品がタオルであることを知る。市内にはタオル博物館なるものもあるらしい。ってことで、さっそく、タオル博物館オリジナルのタオルを250円で買ってしまった。そして、さっき、食べたばかりなのだが、松山にはあまりおいしそうな駅弁もなかったので、ここ今治で鯛めし弁当を今晩の夕食のために調達しておく。さて、下りのしおかぜ13号・いしづち15号は松山止めの8000系電車特急。これで、もう一度松山に戻ってくる。

今治駅 今治駅名表

 さて、松山の最後はどうしようか、もう、4時だしな。とりあえず、市内電車に乗ってみる。で、なんとなく、松山市駅へ。そうだ、この近くに子規堂があるんだよなってことで、訪ねてみる。正確な場所も分からないんだけど、とにかく、歩き出すが、幸い、看板がいたるとこにあって、すぐに分かった。正宗寺の境内の一角に、子規堂はあり、俳人正岡子規が幼少の頃に過ごした部屋がそのままの形で保存されている。3畳一間の勉強部屋を見て、昔の人は偉いもんだと感心した。俺なんか、物心ついたころから、1人で6畳の部屋貰ってたけど、それでも、狭いなんて文句言ってたんもんな。(笑)。そして、同じ境内にあって、さらに興味を引いたのが、坊ちゃん列車に使われていた本物の客車が展示してあったこと。これは予想外だったので、かなり嬉しい。子規堂に来て正解だったじゃん。それでは、坊ちゃん列車についてちょっとだけ解説。

 「停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら,もう降りなければならない。どうりで切符が安いと思った。たった三銭である。」

「やがて、ピューと汽笛が鳴って、車がつく。まちあわせたれんじゅうは、ぞろぞろわれがちに乗り込む。赤シャツは、いの一番に上等へとびこんだ。上等へ乗ったって、いばれるところではない。住田まで、上等が五銭で、下等が三銭だったから、わずか二銭の違いで上下の区別がつく。こういうオレでさえ、上等をふんぱつして、白ぎっぷをにぎっているんでもわかる。もっともいなかものはけちだから、たった二銭の出入りでも、すこぶる苦になるとみえて、たいていは下等へ乗る。」

※住田は道後のことである。

と夏目漱石の「坊ちゃん」にこのように書かれてるいるとこから、いつしか、坊ちゃん列車と呼ばれるようになったのだ。明治期には、こんな線にも今でいうところの、グリーン車が連結されていたこともわかり、興味深い。当時の1銭がどのくらいの価値かは分からないが、現在に当てはめると、市内線は150円だから、下等が150円。上等が250円。ってとこなのだろう。皆さんはどっち乗りますか?俺はやっぱ、下等かな。(笑)。どうせ、俺はいなかもんでけちですよ。とお札にまでなった文豪に喧嘩売っても仕方ないんだが...(笑)

これが、子規堂のある正宗寺 子規堂
坊っちゃん列車の客車 客車内の様子


さて、それでは、現代版の坊ちゃん列車も見に行こうってことで、市駅から下等モノクラスに3銭ならず、150円で道後温泉へ向かう。もっとも1日乗車券なんだが...。道後温泉駅の引込み線に来週から運行される復元された坊ちゃん列車が留置されていた。しかし、1週間違いでこの坊ちゃん列車に乗ることができないのは返す返すも残念。まあ、仕方ないんだよね。今回は、ついでの鉄なんだから。

これが、復元された平成版坊っちゃん列車。10月12日から運行開始です。 夕暮れ時に市駅前で折り返す68号
松山ではちょうど秋祭りの最中で市内のいたるところで
このようなお神輿がみられた。(松山市駅前)
こちらは道後温泉駅前


そして、いよいよ松山最後の行程は、道後温泉から本町線経由、本町六丁目乗り換えで、JR松山駅へと向かう。ちょうどいい時間に、松山駅に到着。もうすっかり暗くなった1番線にはすでに、しおかぜ30号・いしづち26号が入線している。今晩は高松に泊まるので、3両のいしづちの方に乗る。座席の方はそこそこ埋まり、予讃線特急は利用率がいいんだなあって思っていたが、大半が今治で降りてしまい、車内は少々、寂しくなった。高松まで3時間弱。特に、することもないんで、今治で買っておいた、鯛めし弁当を食らう。結構、おいしいので、お奨めである。さて、列車は多度津で岡山行きしおかぜを切り離し、身軽な3両になって、高松まで進む。高松の駅は、リニューアルされたばかりで、きれいになっているが、早くホテルに入りたいので、見学もせず、そそくさと駅をあとにする。今日の宿は、高松東急イン。インターネットで予約しておいたのだが、ちゃんと予約されているか心配だったが、すんなりチャックイン。便利になったもんだ。さすがに、1日中、歩き回って、疲れていたので、すぐに寝ようと思っていたが、アメリカがアフガンにいよいよ報復攻撃したということで、そ の関連ニュースをみてるうちに、12時を回ってしまった...。


高松・松山 瀬戸内紀行 後編
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