茨城県とムーンライト仙台とくりはら田園鉄道の巻


お盆も過ぎて、いよいよ夏も後半戦。18きっぷの消費も拍車をかけなくては。今回は、茨城を巡る鉄道と、ムーンライト仙台の超プラチナチケットがGETできたので、くりはら田園鉄道を訪れた。出発は前回ほど、早くはなく、上野7時49分発の常磐線。しかし、予定より少し早くついたので、1本前の電車に乗れてしまう。ガラガラの車内に乗り込み、時刻表を見ていると、もともと乗る予定だった、このあとの列車には、2階建普通車連結とある。クハ415−1901が連結されているのだ。ということでやっぱり当初の予定通り、7時49分発に乗ることにして、ホームに下りて、先頭車方向に歩いていく、駅の案内放送でも、先頭車両は2階建ですと乗車位置案内が入る。そして、いよいよ入線。日暮方を眺めていると、401系いわゆる白に青塗装の旧車体を先頭にはいってくる。二階建は水戸方に連結だから、白・銀の混結かと思い、そのまま、入線中の車両を注視する。しかし、いつまでたっても白から銀に変わることはない、このとき、あれ?って思ったが、15両もつなぐ長編成なので、まだ先は長い。ようやく最後の4両で銀色の車両が見えてきたが、どうも様子がおかしい。遠く からでも分かる2階建特有の大きな車体が見えてこないなって思ってら、とうとう先頭車も平屋のクハ411−1500番代。なんで???2階建を期待していた回りの親子連れもがっかりした様子。2階建車両は1両しかなく、運用の都合で外れることがあるから仕方ないんだけど、だったら直前の駅の放送で、思わせぶりに2階建車両がくるなんて放送するなよ。で銀色の415系の1500番代はロングシートなので、落胆しながら、編成中央の白色の電車のクロスシート車に腰をおろした。こんなことなら、1本前の電車に乗ってればよかったよ...。思えば、これが、今回の不幸な鉄の序章に過ぎなかった。

2階建てがくるはずだったんだけど、平屋でした。
写真に写ってる親子連れもがっかりと言った感じです。(上野駅)
石岡駅

気を取り直して、まずは向かう先は鹿島鉄道の発着する石岡へ。上野を出ると、右側に京成線が近づいてきて、東北・上越線は止まらない日暮里に停車。そして、ちょっと地味な存在の三河島、右側に日比谷線の高架橋が近づいてくる南千住を通り、来年秋の開通に向けて、工事の真っ最中の北千住に到着。ここから快速運転となって利根川橋梁を渡って、茨城県最初の駅の取手となる。次の藤代までの間で直流1500Vから交流20000Vに切り替えるデッドセクションを通過。車内の空調、電灯が一度切れる。ここで交流に切り替えるのは地磁気観測所に影響を与えないためというのは結構有名な話だが、文系出身の私には、なぜ、直流1500Vはダメで、より高い電圧である交流20000VはOKなのかがよくわからない。素人考えでは逆に思えるのだが...。牛久を過ぎると、右手車窓の遠くに、牛久大仏が見えてくる、実際にはかなりバカでかいのだが、距離があるため、そんなに大きくは見えてこない。そして、85年の科学万博が開催されたときの臨時駅だった万博中央駅、万博終了とともに閉鎖されていたが、1998年に最開業したひたち野うしく駅を過ぎると、土浦に到着。さら に列車は進み、石岡に到着した。

跨線橋を渡ると鹿島鉄道のりばになります。 石岡駅を跨ぐ道路の上からの眺め。
鹿島鉄道の構内が一望できます。様々な気動車がとまっていて
興味をそそります。
キハ714形 緑の金太郎掛けになったキハ430形
KR500形 パープル KR500形 レッド

鹿島鉄道は元は関東鉄道であり、今も関鉄グループだが、車両の方は、比較的新型のKR500形から最古参のキハ431までバラエティーに富んでいる。今回は古めの車両に乗るつもりで、インターネットで下調べしたつもりだったのだが、やってきた列車は新型のレールバス。ちょっとがっかり。これで今回ついていない2つめ。切符の方は土日祝日に有効で往復だけで元がとれる1100円の1日乗車券を購入。車内は、どこかで学校の行事でもあるのか、体操着姿の女子中学生が大挙して乗り込んでいるおかげで、ちょっと混雑気味だったが、なんとかボックスシートに腰掛けることができた。次の石岡南台、東田中あたりまでは、住宅地化されており、地元客も多く乗り降りしている。常陸小川は沿線の中では比較的大きな駅で、ここで折り返す列車も設定されており、地元利用もそれなりに多い。その先は、のどかな田園風景に変わり、桃浦あたりから右手に霞ヶ浦が見えてくる、そして、後方には山頂が2つに割れた筑波山の姿もあり、いかにも茨城らしい風景が広がる。ちょうどこの時期、霞ヶ浦には「あざさ」が見頃を迎えているとのこと。あざさとは黄色い花をつける水草である。鹿島鉄道 でもヘッドマーク付のあざさ号が運転されているが、車窓からみることはできないが、石岡のホームにある池にあるので、ここでどんな花かをみることができる。浜を出ると霞ヶ浦からは離れてゆき、玉造町に到着。ここで大半の地元客は下車して行った。列車はのどかな景色の中をさらにすすみ、石岡から1時間弱で終点鉾田に到着。ここから鹿島臨海鉄道の新鉾田までは地図上で1kmくらいで乗り継ぐことも可能だが、今回は、そのまま折り返す。その折り返し時間で、名物にもなっている駅構内で焼かれている鯛焼きを購入。そして、窓口では鹿島鉄道80周年記念乗車券というまたまたくだらないグッズを買ってしまった。(笑)。記念乗車券には特製ポスターがつくとのこと、ありがたくいただくが馬鹿でかいので、折りたたんでしまった。そして、鯛焼きの方だが、あんこがたっぷり入っていて1つ100円。おやつにはちょうどいい。折り返しの車内で美味しく頂く。石岡まで戻ってきて、再び常磐線で水戸へ向かう。

ホーム側から見た鉾田駅 瓦の感じがとてもいい雰囲気です。 鉾田駅 正面から 駅構内にある名物のたい焼ののぼりがみえています。
そしてこれがそのたい焼です。
尾っぽまでぎっちりあんこがはみ出るほど入って1個100円です。
鉾田駅来駅の際には是非ご賞味下さい。
鉾田駅に停車中のKR500形 グリーン
八木蒔駅の時刻表
ペンキで直書き、しかも漢数字で書かれています。
ヘッドマーク付きあさざ号とすれ違いました。
最古参のキハ600形 KR500形 ブルー 新撰組号

本当は大甕から2005年3月末で廃止される日立電鉄に乗るために大甕に行く予定だったが、このまま行っても接続列車がないので、ちょうどお昼時ということもあり、1度水戸で途中下車して駅弁でも仕入れようということだ。早速、黄門弁当を仕入れ、みどりの窓口で水戸支社のオリジナルオレンジカードを買い求める。昔は、窓口に、現在発売されているオレンジカードのサンプルが提示されていて、その番号を窓口氏に言って買ったものだったが、最近では、ほとんどの駅で、オレンジカードのサンプル提示がなくなってしまったので、一見、発売されていないように思えるが、みどりの窓口で、オレンジカード欲しいんですけど、どんな柄がありますか?と聞くと、思いもかけない図柄のカードをいろいろ出してくれる。おかげで、いろいろ買ってきました。欲しい方はサンプルがないからと諦めずに1度は聞いてみるのもいいかもしれない。一通り買い物を終えて、駅の外に出てみる。水戸駅の最近再開発されて裏口の方に出てみると、なんと、訓練車の485系ボンネット国鉄特急色が奥の留置線に止まっているではないか。しかも、ショッピングセンターの駐車場に沿った場所に。ということ で、さっそく、写真を撮ってきました。最近塗装し直されたのか、ピカピカ。4両編成で、白線に訓練車の文字が入っているものの、やっぱり国鉄特急色のボンネットはかっこいい!さてそろそろ次の下り列車の時間になりホームへ戻る。やってきて電車は415系って常磐線なんだから当たり前か。ボックスシートに腰掛けて、相席しているものの、さっさと弁当の包みを解いて、黄門弁当を食べ始める。とは言うが、その前に重要な儀式がある。このページのために、パッケージと中身の写真を撮ることである。他人からみれば、この人、何撮ってるんだろうって変な目で見てるかもしれないが、別に人に迷惑をかけてるわけでもなし、さっさとその儀式をすませて、弁当をたいらげる。

415系 水戸駅 水戸駅
水戸黄門の像 ちゃんと両脇に助さん、角さんもいますね。 水戸駅の留置線に停泊中の485系 訓練車
側面の様子 中間車はモヤ484という珍形式になっています。
側面方向幕。幕ではなく、上のガラスに直に訓練車と
書かれています。
後は勝田方から撮影 訓練車の白帯が入ってはいるものの、
やはりボンネットの485系はかっこいいですね。
水戸黄門弁当 中身はごく普通の幕の内弁当ですが、右下のチューブ容器には
なんと食前酒の梅酒が入っていました。
飲むときはこれをちゅっちゅって吸って飲みます。
下戸の私はこれだけでほろ酔い気分になりました。

大甕からは日立電鉄。2005年3月末で廃止が決定されているが、常陸太田市は、後継の鉄道事業者を探しているところで、あと半年の間になんとか起死回生を願いたい。この日立電鉄でも土日祝日有効の1日乗車券が900円で発売されておりそれを購入。車両は全車、元営団地下鉄(現東京メトロ)銀座線の2000形だが、1編成だけ、旧色のアイボリーとオレンジのツートンカラーに塗る分けらてた車両がおり、なんとか今回はそれに乗りたい。計画ではまず、鮎川方面の電車に乗る予定で組んでいたが、電車がやってくると、常北太田行の方にその旧色の電車が入ってきたので、迷わず乗り込んだ。(笑)。予定はちょっと狂ってくるがこういう場当たり的な鉄もたまにはいい。車内は、元銀座線というだけのことあって、当然のように冷房はついていない。普通なら、自社に入線後バス冷房を搭載の冷房改造をしてもよさそうなものだが、それが出来ないということはそれだけ、日立電鉄の経営が厳しいということなのだろう。しかし、最初こそちょっとむっと暑さを感じたが、走り出すと全開の窓からは、思いのほか涼風が入ってくる。さほどスピードも出ず、路盤状態もいいとは言えず、2両 編成のローカル線は、ゴトゴトと進む。方や比べると超幹線である常磐線を下に、上にとくねくねと跨ぎ、途中の高架線では、よほど状態が悪いのか、最徐行で進んでいく。簡単に存続、存続と外野は勝手なことを言ってはみるが、高架橋の架け替え、路盤の再整備、車両の更新と、莫大なお金がかかりそうなことばかりで、日立電鉄というローカル地方鉄道会社1社ではとても手に負えないという状況がよく理解できる。しかし、車内は日中の時間帯ではあるが、ガラガラというわけではなく、地元客もそれなりに乗車しているので、このまま廃止というもはやはり惜しまれるところだ。しかし、全車2両編成というのはちょっと輸送過多で、1両でも十分な人数だ。この銀座線改良の2000形は両運転台になっており、単行運転で経費を切り詰めることも可能なように思える。40分程で常北太田に到着。常北太田駅は道路を挟んで水郡線常陸太田駅と接続しているが、とりあえず、今は乗り換えず、そのまま折り返す。

日立電鉄 常北太田駅 常北太田駅名標
元銀座線車両の3000形 旧塗装車です。 常北太田に停車中
鮎川方から撮影 中間運転台の様子。
ドア窓の形から元銀座線の新1500系からの改造でしょうか。
社紋とナンバー 側面サボ
常北太田駅構内に留置されている車両達
痛み具合からすでに運用に入っていない車両もあるようです。
これが日立電鉄の現在のオリジナル塗装です。

折り返し時間を利用して写真なんかを撮ってみるが、さすがに、18きっぷのシーズンであと半年で廃線ということで、お仲間の数も多い。(笑)。折り返しも来るとき同様、ノタノタと進んでいき、大甕を通り過ぎて終点の鮎川まで乗り通す。鮎川までの道のりも、いかにもローカル地方鉄道という感じでムード満点。また、高台の築堤を走ると、街の向こうに海が見え、とてもいい雰囲気である、こういう鉄道がまた1つなくなってしまうなんて本当に惜しい限りだ。鮎川からは再び、常北太田へと引き返す。もしかしたらこれが最後の行程になってしまうかもしれないと思うと、寂しさがこみ上げてくる。各駅にもファイナルビア電の旗がはためいている。本当にどこか引き取り手がないものかな。今はただ、鉄路が残ることを祈るほかはない。

これ、覚えていますか?
銀座線時代に、駅に着く直前に電気が一瞬消えたときに
点灯する非常灯です。今も撤去されずについています。
東京では東京メトロになって一掃された営団マークも
ここの扇風機では健在です。
大甕駅に停車中の3000形旧塗装車 ファイナル・ビア電ののぼりが寂しくはためきます。
鮎川駅 鮎川 駅名標
夕方のラッシュ時間帯に向け、鮎川駅で出発を待つ3000形 鮎川駅で折り返しを待つ3000形旧塗装車
とうとう廃止のお知らせが出てしまいました。 頑張れ日立電鉄!起死回生を今はただ祈るほかはない。

さて、常北太田から、先ほど言ったように、道路を越えて、水郡線の常陸太田へ。日立電鉄で余分に往復していたものだから当初の予定より約1時間ほど遅れてしまっている。水郡線も収益がよいとは言えないと思うが、そこはJR東日本。キハ110型の快適な気動車が走る。常陸太田から途中の上菅谷までは支線で、上菅谷からは郡山からくる本線と合流して水戸を目指す。再び水戸に戻ってくる。水戸からは鹿島臨海鉄道で鹿島神宮へと抜ける。乗り場はJRの駅構内だが、スーパーひたち、フレッシュひたちの発着する特急ホームと同じホームで、跨線橋上に特急改札口がある。18きっぷしか持ってなく、鹿島臨海鉄道の切符もないので、どうやってここを突破したものかと思案するが、結局、改札口氏に鹿島臨海線に乗るんですけど、と素直に話すと、運賃は車内で払ってくださいと当たり前のことを言われて通してもらう。しかしなんか変な構造だ。だったら、跨線橋上に鹿島臨海鉄道の券売機でもおいておけばいいのに。鹿島臨海鉄道の車両は第三セクターにしてはめずらしく、富士重工製の標準型ではなく、オリジナル気動車の6000形。カラーリングも赤をベースに白と窓周りがチャコー ルグレーというユニークなもの。その昔、限定でKATO製の鉄道模型も出ていた人気車両だが、今は絶版。異常な高値で取引されている。2ドア車で車内は入口付近がロングシートになっている他は、転換クロスシートがずらりと並び、快適そのものだ。列車は定刻通りに走りだし、常磐線に沿って、一度北方向に進むと、すぐに右手に別れてゆく。鉄建公団製のすばらしい高架橋が田園風景に延々と進む風景はどこか東北新幹線に似た印象を与える。列車は大洗まで進み、海岸線にでると、海に沿うように南下を始める。しかし、海に寄り添うのは本当に大洗駅付近で、そのあとは再びやや内陸部を通り、右手に涸沼(ひぬま)を眺めた後に、午前中に鹿島鉄道で来た、鉾田から1kmほど離れた新鉾田に到着する。新鉾田を出ると、まもなく、右手に日本で3番目に大きい湖である北浦が見えてくる。しばらく北浦に沿うように進むと、再び、海よりに進路を取る。海よりといっても海岸線を走るのではなく、海岸線から約1kmほど離れたところを淡々と走る。離れてはいるものの、高架橋路線のため、遠くに海が見えるといった風景だ。そして、まもなく、長い駅名の走りともいうべき「長者が浜潮騒は まなす公園前」を通る。そして、JRとの分岐で元は北鹿島という貨物駅であったが、現在はサッカー開催時だけ営業される臨時駅の鹿島サッカースタジアムを通過。左手すぐそばにはそびえるようなスタジアムがたっている。8月も下旬ともなれば、まだ18時くらいだが、あたりもだいぶ暗くなってくる頃鹿島神宮に到着した。

水郡線 111系 常陸太田駅 鹿島臨海鉄道 6000系 水戸駅
鹿島大野で交換列車を待つ6000系鹿島神宮行 鹿島神宮 駅名標

鹿島神宮駅はJRと共同駅でJRとの間に中間改札がないどころか、1面2線で目の前のホームで乗り換えになるので、鹿島臨海鉄道分は車内で精算を済ませる方式だ。乗車券は持っていないので、運賃箱に1500円を放り込み、精算券を貰うが、この精算券を見てみると、「鹿島サッカースタジアム>180円区間」となっている普通乗車券だ。どういうことだろうと思ったが、先ほども書いたが、鹿島サッカースタジアムからJRになるので、こういうことになるのだろう。鹿島神宮では20分の待ち合わせで鹿島線の佐原行に乗る。電車は間際に、折り返し列車が入線してくるので、ホームでの退屈な20分が過ぎる。ようやく4両編成の113系が入線。まもなく出発となった。鹿島神宮をでるとすぐに北浦を鉄橋で超える。湖を鉄橋で越えるというのだから、総延長は1000Mくらいある壮大なもので、撮影名所にもなっている。潮来を出ると、千葉県に入り十二橋。そして、銚子からの成田線と合流して佐原の欠き取り式ホームに到着。佐原からは成田線で千葉へ向かう、途中、低空で飛ぶ旅客機のライトが間断なく見え、成田空港が近いことが分かる。千葉には20時31分に到着。千葉駅で 駅弁でも欲しかったのだが、こんな時間ではすでに売り切れ、空腹を抱えて総武快速線で東京へ。

鹿島線113系 鹿島神宮駅 成田線からの113系 折り返しは総武線経由の銚子行に
なります。(千葉駅)
左の113系と比べるとタイフォンの位置が違っています。

東京駅の21時過ぎはまだまだ宵の口。相変わらず大勢の人でごったがえしている。弁当屋も当然のように営業している。なにしようか迷うが、そういえば、数年前の登場して話題になったO−Bentoって食べたことがないといことで、豚の生姜焼き弁当を買ってみる。価格も680円と駅弁にしては安い。そしてレンジでチンして出されるのでアツアツである。ちなみに東京駅の在来線のコンコースの売店で買い求めて、それも持ってテクテクと10分以上かけて、京葉線ホームに移動。そのホームのベンチで食べたのだが、まだ全然冷めておらず、熱くて手にもてないほどだった。このO−Bentoは米からおかずまですべてアメリカ、カリフォルニアで作られ、特に米は有機栽培とのこと。調理からパックまですべて現地工場で行なわれ、急速冷凍さて日本に輸入される。このおかげで、価格を抑えることができているようだ。肝心の味だが、温かい分だけ、美味しく感じるが、駅弁という感じは全くしない。どちらかというとコンビニ弁当に近い感じ。米国製ということで、味は、国際線の機内食のような感じがするが、なかにはこういう駅弁もありということで合格点はあげられそうだ。さて、 そうこうするうちに、583系使用のムーンライト仙台の入線時間が近づき、これ目当ての鉄も集まってきて、ホームも活気付いてきた。そろそろかと思いきや、もう1本、回送列車が折り返すとのこと。やってきた列車はなんと新潟のNODOKA。なんでこんなところに?恐らく、ディズニーリゾート関係の団臨だったのだろう。ということで、奇しくも集まっていた鉄道マニアからさかんにシャッター攻撃を浴びる。そして、そのお騒がせNODOKAは数分後、恐らく千ケヨへと引き返して言った。

東京駅地下ホームで出会った183系ホームタウンしおさい号 「ホームタウンしおさい」のヘッドマーク。
今度の10月の改正でホームタウンはとれて単なる「しおさい」に
なります。そして、来年中にはE257系に置き換わってしまう予定です。
NRE(駅弁、列車食堂の老舗旧日本食堂)が出した
新しいタイプの駅弁 O−Bento 豚肉生姜焼き弁当
すべて、アメリカで作られ、冷凍空輸され、レンジでチンして
提供されます。味はどちらかというと航空機の機内食
または、コンビニ弁当系と言った感じです。
突然 京葉線ホームに入線してきたNO・DO・KA ムーンライト仙台の案内が点灯しました。
583系ムーンライト仙台の入線です。 側面の方向幕には行先ではなくヘッドマークが入っています。

そして、その千ケヨからNODOKAと交換するように入ってきたのが583系ムーンライト仙台だ。久しぶりに乗る583系は以前にもまして、綺麗に塗装が施され、往年の輝き、未だ薄れずといった感じだ。全車指定席で満席のはずだが、自分達のボックスには3人しかなく、他のボックスも4人で占めているのはないくらい。相変わらず、不正に指定券を抑えているのか、それとも510円くらいなので、キャンセルしても払い戻さないだけなのか...。最近、ムーンライト系の全車指定の快速列車が増えてきたが、指定券購入時に、乗車券の購入または、提示を求める等、なにか対策を取る必要がきているのかもしれない。ムーンライト仙台は定刻通り出発、新木場を通過し、普段、通勤で乗っている風景を583の窓から眺めるというのはなんとも妙な気分。舞浜に停車して、ディズニーからの客を拾ったあとは、武蔵野線へと入り、大宮へと抜けるが、大宮まで行くのになんと遠回りで時間のかかることか。武蔵浦和を過ぎて、武蔵野線と東北線を結ぶ西浦和支線を通りぬけて、大宮への到着は23時46分。東京からは京浜東北線に乗れば40分程で結ばれるところを実に1時間26分かかって いるのだ。もっとも、ここで時間かせぎをしてもらわないと、仙台に早く着きすぎてしまうからこれはこれでちょうどいいのだが。ボックスシートではあるが、これでも特急型車両、急行型や近郊型に比べてボックスのシートピッチがかなり広いので、幾分楽である。大宮を出たあとは、記憶がなく、日付も変わって、すでに明るくなった翌日の5時過ぎ頃、シートピッチが広く楽とは書いたが、同じ体制をとって寝てたためかけつの痛さで目が覚める。(笑)。福島を過ぎたとこだろうか。洗面をすませ、夏も終わりに近づいた車窓を眺めながら、仙台に到着した。

仙台に到着したムーンライト仙台 ヘッドマーク

とりあえず、仙台で朝食となる駅弁を購入。東北にくると、本当においしい駅弁が揃っており、目移りしてなかなか選べない。三陸の海鮮物ものもいいし、仙台名物の牛たんもすてがたい。結局、朝から肉というのもナンなので、三陸わっぱめしを購入。各駅停車一ノ関行がくるホームへ行く。そこで入って列車を見て愕然。オールロングシートの701系ではないか。もう、駅弁どうするよ...。しかも席もそこそこ埋まっている。列車が動き出し、ふとみると、斜め前の男性客が、弁当を食べだした。そうだよね。べつにロングシートだからって弁当食べちゃいけないって法はないんだよね。それに、ここで食べておかないと、この先、食べる機会もなさそうだし、自分も包みを広げることにした。こうしてロングシートでも平気で弁当が食べれてしまうようになると、そのうち、田園都市線の中なんかでも、平気で弁当食べる日がくるのかもしれないって思ってしまって、そんな自分を想像してちょっと怖くなった。(笑)。

いしのまき大漁わっぱめし 中身は、いくら、白身魚のフライ、鮭ハラス、鯨の竜田揚、たらこ、
小女子、茎わかめ、そして仙台名産笹かまぼこがのっていて
とてもおいしいです。
701系一ノ関行 仙台駅 JR石越駅 駅前の一本杉がいい感じです。

この701系を石越で下車。石越と言えば、もうお分かりかと思うが、2007年3月末で廃止が決定されたくりはら田園鉄道に行く。東京からだとやや距離があり日帰りがちょっと困難な鉄道だが、こうしてムーンライト仙台を使用することによって訪問が可能になった。くりでんの石越駅はJRと細い道路を挟んで反対側。さすが創業86年目を迎えるだけあって、JRの駅とは一線を画している。駅舎もこれは後のものと思われるが木造ながら、洋風建築的な要素も取り入れた瀟洒な作りとなっている。そしてホームにはすでに、来は950形が入線し、乗客を待ち受けている。残念なことはこの石越駅も平成13年に無人化されてしまい、駅がひっそりしてしまっていることだ。ポスター類も色褪せてしまっていてちょっと物寂しい。くりはら田園鉄道は平成5年まで栗原電鉄と称して電車だったが、細倉鉱山の廃止とともに経営が悪化。地元自治体が出資す第三セクターに移行し、気動車化された鉄道である。すでに、このときに、先行きにかなり不安があったのだが、少子化とマイカー依存により、ついに廃止を余儀なくされてしまった。車内の方もお仲間と思しき鉄が数名乗り込んでいる他は、栗 駒山への登山客が1人、地元客は数名と寂しい限り。鉄が一番車内を占めてるようだ。(笑)。

JRの対面にあるくりはら田園鉄道 石越駅 沿線観光案内図
まだ旧会社名である栗原電鉄になっています。
石越 駅名標 石越駅に停車中のキハ900形
電化時代のなごりで架線柱が今も残ります。 栗がモチーフとなっているヘッドマーク
側面のエンブレム 車内の様子 レトロ調ですが、豪華な感じです。

列車は田園鉄道の名の通り米どころ宮城の水田の中を淡々と進んでいく。車内放送は女性の声の自動放送だが、観光案内も兼ねており、沿線の観光地、車窓などにも解説が加わる。そして、しばらくすると、大岡小前と大岡の間で東北新幹線をくぐる。「たら、れば」の話をしても仕方のないことだが、東北新幹線との交差地点から5Km程南が東北新幹線のくりこま高原駅になる。もし、その駅が、このくりでんの交差地点に設けられていたら、くりでんは新幹線アクセスや在来線への連絡の役割を担うことにもなり、状況はかなり変わったと思われるだけに、そういうことを総合的に勘案して新駅の設置場所を決められなかったことがちょっと悔やまれるところだ。さらに進むと進行方向右手に栗駒山が見えてくると栗駒駅に到着するが、肝心の栗駒山はここから見る限りにおいてかなり遠くにそびえており、ここから行くのでもちょっと大変そうだ。鶯沢をすぎて終点、細倉マインパーク前に到着。

元名鉄20系気動車 若柳駅 栗原電鉄時代の電車も解体されずに残っています。 若柳駅
栗駒 駅名標 タブレット交換をします。三角の玉が見えています。

以前の終点だった、細倉からわずかだが、貨物線を利用して路線が延長された。(細倉駅の方はそれに伴い廃止になっている。)比較的新しいということで、終点の設備はいたって簡素、1面1線のホームに数段上がった階段の上に駅舎が建っている。その駅舎の脇には腕木式信号と電気機関車と貨車が1台置いてある。かつて鉱山輸送に使用されたものだろうか。そして駅名にもなっている細倉マインパークも駅から徒歩10分くらいのところにあるらしい。本当はすぐこの折り返し列車で帰っても良かったのだが、接続が悪く仙台で1時間以上も空き時間ができてしまう。ならば、いっそのこと、ここで時間を潰して行った方がよさそうだ。ということで、前から気になっていた細倉マインパークに行ってみることにした。この時、この決断が、この後、私を不幸のどん底に突き落とすようなことになるとは思ってもいなかった。

細倉マインパーク前駅 細倉マインパーク前に到着したキハ900形
細倉マインパーク前 駅名標 東北の駅百選に選ばれています。
腕木式信号がありました。 駅前には電気機関車と木造貨車が保存されています。
電気機関車です。 別角度から かなり錆付いていて痛んでいます。
なんとかメンテナンスを行って欲しいものです。
今や珍しくなった木造の貨車も保存されています。 乗って残そう栗原電鉄。すでに会社名も変わり、
廃止が決まってしまってちょっと虚しい感じです。

さて、細倉マインパークの駅からはゆるやかな上り坂を歩いていくこと約10分で到着。遊園地っぽい施設と閑散とした雰囲気にちょっと戸惑う。入るか入るまいか迷っていたところに、施設の若いお姉ちゃんがきたので、「中はどんな感じなんですか?」って聞いてみたが「今、カンテラ祭りやってます。中は涼しいですよ。」と的外れで要領得ない返事が返ってきた。まあいいや、せっかくだから入ってみるかということで、900円の入場券を購入。斜面に開いているトンネルに入っていく。なるほど、確かに外とはうってかわって涼しい。しかし、誰もおらず、一人で洞窟のような薄暗いトンネルを進むのはちょっと怖い。前半部分は、鉱山の現役時代の再現や展示があり、それなりに感心する。そして後半部分は鉱山を小宇宙に見立てたアトラクション風で、ちょっと意味不明。しかもかなり不気味。人が通るとセンサーで音や画像が動くので、肝試しみたいな感じで、まじで怖い。ということでゆっくり見てまわると1時間くらいであろうか。900円はちょっと高いかもって思えなくもないが、時間潰しにはいいかもしれない。

ここが細倉マインパークです。 体験坑道の入口です。
こういう坑道にはつきもののトロッコとバッテリーロコです。 後半部分の意味不明のレーザー光線。

ちょうどいい時間なり駅に戻ってみるが、まだ折り返し列車は到着しておらず、駅周辺を観察。ちょうど、入線したきた列車の写真を撮ったりしながら過ごす。帰りの列車も行き同様、田園風景の中をのんびり進む。行きは気が付かなかったのだが、当然のようにタブレット交換。交換駅では駅員が常駐する。そして、腕木式信号の姿も見える。車内にはくりでんサポーターズクラブの案内もあるが、すでに廃止が決まっていて、その呼びかけも虚しい。なによりにも起終点の石越・細倉マインパーク前の両方が無人駅だから、鉄道マニアを取り込みにくいのはちょっと残念だ。記念乗車券やその他のグッズも当然有人駅でしか発売されておらず、欲しい場合は、単純往復では買えず、途中駅で一度降りなくてはならない。できれば日中だけでも石越駅に委託駅員でも配置して欲しいものだ。石越には11時53分に到着。

細倉マインパーク前に接近するキハ900形 画面左側が旧細倉駅です。
細倉マインパーク前で出発を待つキハ900形 細倉マインパーク前 ホームと駅舎の様子
キハ900形 これが栗駒山です。かなり遠くに見えていますので、
登るのは本当に大変そうです。
タブレット交換 若柳駅 現役の腕木式信号 若柳駅
0キロポストとキハ900形 石越駅  石越駅に停車中のキハ900形

まだ一応午前中だが、ここからはひたすら東京に向けて帰らねばならない。接続は12時1分の小牛田行。小牛田からは719系で仙台を目指す。東仙台を出てまもなく仙台に到着ということ、突然、徐行しだして、ついには止まってしまった。仙台駅の入線待ちかなって思っていたら、車内放送で、この先の踏み切りで自動車が立ち往生しているとのこと。まじかよ。しかも、電車は一向に動く気配がない。現場はまだ先で、運転席からも状況は見えない。仙台駅では5分の乗り継ぎで13:30発の福島行に乗らなければならない。これに乗らなければ、郡山から臨時で延長運転している快速フェアウェイに間に合わないではないか。これってやばいんじゃん。時間は容赦なく過ぎてゆき、車掌からは、その時々の状況の説明が入るが、車内の乗客はもはや諦めムード。ようやく動き出したのは15分後。心のどこかで、10分くらいだし、接続列車が待ってくれていることを期待して仙台に到着したが、ものの見事に裏切られて、次は約30分後14:05発の白石行ってぬけぬけと案内放送が入る。おいおい白石止まりじゃしょうがないだろう。でその後は14:29発福島行だが福島からの接続が途中 の矢吹止まり。黒磯行はさらに30分以上待たなければならない。まじかよ。とりあえず、駅員に詰め寄ろうかと思ったが、そんことやっても虚しいだけだし、とりあえずは、フェアウェイには新幹線でも使わない限り乗れないってことが確定しているので、手持ちの指定券は払い戻すことにした。まったく大人気ない話なのだが、みどりの窓口で「踏み切り事故で遅れて、乗り継げなかったから払い戻して下さいっ!ってとげとげしくいい放つ。(笑)。とりあえず、510円戻ってきたが、せっかく、郡山から乗るフェアウェイを楽しみにしていたのに、もう腹の虫が治まらない。踏み切りで立ち往生した車の運転手がいたら、ぶん殴ってるだろう。そして、今の俺は、きっと般若のような顔をしてるだろう。

701系 小牛田駅 719系 仙台行
小牛田車庫 陸羽東線、石巻線の気動車が集います。

腹がすいてると余計にイライラするってことで、ともかく、朝どっちにするか迷った牛タン弁当を購入。仕方なしに、白石行の出るホームへ降りるとホームは多くの乗客でごったがえしている。先ほどの踏み切り事故の影響で、発着電車に遅れが出始めているようだ。これじゃ座れないじゃん。しかもやってきた車両は701系。ふと隣からは14:15発常磐線のいわき行が出るようだ。そうだ。もうこうなったら常磐線回りで帰るっていうのもいいかもしれない。急いで時刻表で調べると、このまま乗り継ぎの悪い東北線で帰るのと上野到着が10分しか違わない。ということで常磐線回りで帰ることに決定。やってきた車両は419系。701系のロングシート車に比べれば最高にいい。しかし、こちらも接続列車を待ったため10分程遅れて出発。10分待つなら、なんで、13:30分の福島行も10分待たなかったんじゃいゴルァ!ってまた怒りが込み上げてくる。(笑)。岩沼まで複線の東北本線を進み。東北本線と分かれる岩沼で早速、列車の交換待ち。常磐線はこの先単線になってしまうのだ。岩沼から進路を左にとり、東北線は次第に右へとわかれてゆく。この先、日暮里まで別々の道を行 くわけだ。海を見ながら帰りたいという理由もあって常磐線経由を決めたのだが、常磐線は太平洋沿いを進んではいるものの、一部を除き、ずっと海岸線を走ってるわけではなく、海の見える区間は意外と限られてくる。それでも、車窓から時折見え隠れする海というものは、いいものである。

417系  455系 いわき駅

ボックスに相席していた客も降りて、一人のんびりとしたところで、仙台で仕入れた牛タン弁当の包みを解き、舌鼓。と気分もよくなり、フェアウェイに乗り損ねた悪夢も忘れかけてきたころ、突然、けたたましい警笛と共に、列車が急停車した。思わず、前の席に体が投げ出されそうになり、何事?って思ったら、線路内に人が進入したとのこと。そのまま5分程、現場に停車する。どうやら、大事には至らなかったようで、5分後に再び走りだした。どうも今日は、そんなことが多いな。本来なら原ノ町で20分停車のところ、仙台出発時の遅れも回復できず、今回の遅れも重なって、到着後、すぐに出発。なんとか定刻通りのダイヤに戻った。そして約1時間後夜ノ森に到着。なぜ夜ノ森なんてここでわざわざ記述するのかというと、ちょっとした思い入れがあるのだ。昔、TOMIXのカタログで485系ボンネット車のページの実車写真が夜ノ森の駅名標をバックに通過するひたち号で、とても印象に残っていあたからだ。この頃、まだ鉄として全国をこんなに乗り回していなかったので、常磐線の聞きなれない夜ノ森という駅名に自分なりの思いを馳せたものだった。今回始めて通ったわけではない が、何の変哲もない駅ではあるが...。そして仙台から約3時間乗り通してようやくいわきに到着した。いわきでの乗り継ぎ時間が20分程あるので、まずはみどりの窓口でオレンジカードあさり。やはり窓口に掲示はしていないので、わざわざ聞いて出してもらう。そしてまもなく夕食時ということで、ここで駅弁でも調達しておこうと弁当屋を探すが見当たらない。大半のスーパーひたちの終着駅だし、時刻表にも「弁」のマークがあるわけだし、今、17時をちょっと回ったところで、売ってないわけがないのだが...。とりあえず、KIOSKのおばちゃんに駅弁屋さんはどこですか?って聞いてみると、(ホームの)前の方にいませんでしたか?特急に合わせて立ち売りするので、ホームを探して見てくださいとなんとも歯切れの悪い返事。ホームの前から後ろまで歩いてみるがそれらしき人はいない。仕方ない改札口で聞くか。すると改札口でも、ホームにいませんか?それかそこの階段下りて右側に店があります。とこれまた歯切れの悪い返事。仕方なく、改札口を出て、言われた場所に言ってみると、確かに駅弁を扱っている仕出し弁当屋があるようだが、シャッターが下りている。よく探す と、後ろの方に、分かりにくい窓口みたいなのがあり、どうもそこで売っているようだ。そこで、ノックして「弁当ありますか?」って聞くと、中から、おばちゃんがでてきて、どれにしましょう。と聞き返す。どれでもいいのだが、とりあえず、うに弁当下さい。っていうと、じゃあ、今から作ります。って、おいおい、用意していないのかよ。いつのまにか次の電車の発車まであと5分。こんなところで悠長に弁当ができるのを待ってる余裕はない。すみません、急いでいるのですぐにできるのはありますか?って聞くと、またしても歯切れの悪い返事で、何時の電車に乗りますか?って感じ。なんからちあきそうもないので、じゃあ、いいです。って結局買えずに戻ってくる。きっと、都会の人はせっかちだなって思われたんだろうな。(笑)。しかし、一応、特急が1時間に1本発着していて、ある程度の規模の駅なんだから、駅弁屋くらい常設して欲しいというか、KIOSKにおいておけばいいのに。

仙台駅の牛舌づつみ弁当 中身は塩焼きと味噌漬けと両方の牛タンが入っています。

いわきからは水戸行に乗る。車両は415系かと思っていたが、まだ東北支社の455系。デッキのついた元急行型。直流タイプの165系が全廃された今ではこのバリバリの急行型車両の455系は貴重な存在だ。しかも堂々の9両編成で一見、往年の急行をも彷彿とさせる。ただ、ヘッドライトが角型に改造されてしまっているのがなんとも残念だ。さて8月も下旬にもなると日の入も必然と早くなり、曇っていたこともあって、18時を過ぎると外の景色もだいぶ薄暗くなってくる。高萩を過ぎたあたりから地元の女子高生が乗ってくる。やはりこの区間に455系は珍しいのか、「なんかこの電車、思いっきり電車って感じじゃない?」なんて話てる。鉄じゃなくて、しかも女の子でも、近郊型の415系と急行型の455系の客室の違いにはちゃんと気がついているようだ。そして、彼女達の降り際がまた面白い、普段の415系なら、近くのドアからさっとおりればいいが、455系の場合はそうもいかない。降りるぎりぎりまで、友達同士のおしゃべりに興じており、電車が止まっていざ降りようとするときに、あれ、出口どこ?と一様にパニクって、バタバタとデッキの方に駆けていく。(笑) 。大甕についたところで、昨日着たところまで戻ってきたということで、大きく1周したことになる。水戸にはすでにかなり暗くなった19時7分に到着。先に高萩から8分前を走っていた列車に追いついて3分の接続で乗り換えることになっている。先ほどいわきで弁当を買い損ねたので、その3分でなんとか弁当を仕入れたい。幸い、少し早く到着したのか、4分ちょっと時間がありそうで、急いで階段を駆け上がり、弁当屋へ直行。昨日もここで買っているから場所はよくわかっているので助かった。水戸駅の駅弁もかなり種類があるのだが、あまり迷ってる暇はなく、ぱっと目に入ったよしのぶ弁当を購入。急いで、ホームへと戻る。

水戸駅のよしのぶ弁当 おかかご飯がメインですが、おかずも豪華です。

上野行は415系はさすがにすでに東京圏を走るということで11両編成で、ところどころにロングシート車もはさんでいる。席もよくうまっており、ようやく最後尾の開いてるボックスにたどり着いた。先ほどの455系と比べると、近郊型の小ぶりボックスシートはかなり窮屈そうに目に映る。混んでこないうちにと、さっそく慶喜弁当を食べる。もともと粗食だったという最後の将軍慶喜の好きなものを詰めたという。そのメインがおかかごはん。醤油にまぶしたおかかがご飯の上一面にのっている。おかずがなくなって、これだけもおいしくいただけるので、これはかなりいい感じだ。しかし、そんな必要もないくらいおかずもたくさん入っている。しかし、牛肉やら、フライやらおいしいのだがとても慶喜時代にあったものとは思えないものも入っており、コンセプトからはズレてるような気がする。昨日乗った石岡の鹿島鉄道も、佐貫からの関東鉄道竜ヶ崎線も暗いのその姿がよくわからず過ぎる。藤代−取手間のデッドセクションでは、夜なので、一瞬、車内が真っ暗になり、ようやく直流区間に戻ってくる。取手からは複々線区間。時折、千代田線の車両とすれ違うようになる。その複々線も綾 瀬で別れを告げ、今や東京北東部の一大ターミナルとなった北千住を抜けて、南千住、三河島、そして山手線と合流し日暮里に停車。ここで、約7時間ぶりに東北本線と再開したことになる。最後は上野の低い地平ホームに到着して夜行1泊2日の鉄も終了。今回は出だしからトラブル続きだったが、こうしてなんとか帰ってくることができました。

いわき駅で撮った651系スーパーひたち50号 403系 デカ目健在です。 上野駅

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