中国東北地方 鉄道紀行
2004年9月5日〜12日まで、列車で巡る中国東北地方なんていうツアーに参加しました。中国東北地方は、戦前は旧満州国と言って、日本が事実上統治していた場所であり、古い日本の面影をも残している地方です。また、ツアーに参加された人の中には、かなり年配の方もおりました。その中には旧満州に住んでいたという方も何人かいらっしゃり、約60年ぶりに訪れる土地をとても懐かしがっおられました。
なにぶん、ツアーなもので、なかなか自由な行動は制限されてしまうのですが、それでも、普通の海外旅行よりはかなり鉄分の濃い旅になりましたので、簡単ながらリポートします。
成田空港>大連 | |
成田空港第2ターミナルのサテライト間のシャトル エレベーター会社のOTIS製です。新交通のよく似た感じで、中間部分に行き違い箇所の ある単線並列で計4台がピストン輸送をしている。短い区間用には適したシステムと言えよう。 東京駅の京葉線ホームへの連絡通路や、京成上野の地下通路なんかにも設置したら便利そうです。 | |
CZ630 大連行です。A300 中国南方航空のはずなのに、機体は中国北方航空です。 |
大連空港に到着です。 |
大連市電 | |
ついたその日の夜の自由行動時間、ホテルのそばに路面電車が 走っていたので、早速出かけてみました。 日本統治時代からの日本製の路面電車です。 |
本当は乗るつもりがなかったのですが、行先も分からず、 衝動的に飛び乗ってしましました。運賃は1元(13円)です。 車内の写真はありませんが、木造でニス塗りがとても美しい車内でした。 ちなみに運転士は皆、女性です。 |
翌日の早朝、再び、訪れて、写真を撮影。 | 色はブルーとグリーンの2色あるようです。 最近、この電車に合うようにこのカラーリングに塗りなおされたようです。 ということで、この形の電車は当面、使われると思われます。 |
系統は203号線です。 大連に来たときは、是非とも乗ってみてください。 古きよき日本の路面電車の面影が残ってます。 |
大連の中心地、中山広場に面して建つ旧横浜正金銀行。 |
203高地へ行く観光バスの車窓から。こちらの路線の路面電車には新型のLRTが入っています。 | |
この山が今から100年前の1904年の日露戦争の 激戦地である203高地です。 |
ここが203高地です。乃木大将が戦勝記念に 立てた砲弾の記念碑です。 |
大連>瀋陽 | |
大連駅です。上野駅そっくりの形をしています。 | |
待合室です。日本では考えられないほど広いです。 | 電光の発車案内です。 列車番号、行先、発車時間、発車番線、改札状況の順に表示 されます。4候は4番線。候車は待合室を表しています。 一番上のT355 瀋陽北行に乗ります。 |
改札口です。自動改札機も設置されています。 | 改札口の上にはLEDの発車案内板があります。 |
赤い制服の駅員が敬礼をして改札が始まります。 | 大連→瀋陽北の乗車券 新空調軟座特快とは、新型冷房付グリーン車の特急とでも 言えばいいでしょうか。新型とか冷房付きということを わざわざ切符に明記するところが中国らしいです。 裏を返せば、まだ非冷房車が多いということです。 |
新型の電気機関車が牽引します。 | 後部分です。車掌室もなく、尻切れトンボのような感じです。 尾灯もありません。 |
大連−瀋陽北のサボ 中国では方向幕がなくまだ全列車サボです。 | 白、青、赤のトリコロールカラーの客車です。 各扉に車掌がついて乗客を案内します。中国の列車は、ここで 検札があるので、指定された号車のドア以外からは乗車できません。 また、停車中は各車両間の貫通路は鎖錠されていますので、 乗り降りには注意が必要です。走り出すと車窓が鍵をはずして、 通り抜けられるようになります。 |
2階建ての客車もつないでいました。 | 軟座車内の様子。日本で言えばグリーン車にあたるのですが、 向かい合わせのボックスシートでリクライニングもしません。 しかし、座り心地は悪くはありませんでした。これで、 日本の普通車レベルです。 |
瀋陽蒸気機関車博物館 | |
瀋陽蒸気機関車博物館の外観です。 | 中庭には蒸気機関車のモデルが鎮座しています。 そしてガラスの向こうにはメインのパシナが見えています。 |
レプリカの機関車も多数展示されています。 | |
簡易SL (模造品) | PL1形220 (プレイ) 1907年アメリカ製 貨物・入換用 |
0号(模造品) 中国最古のSL 本物は北京に存在 1882年 英国製 | DB1形28 (ダブイ) 1907年 アメリカ製 支線・入換用 軸配置(1C2T) |
SL5形292 (パシコ) 1927年 日本製 満鉄の本線旅客用機関車 急行はとを牽引したことも有名 パシコのパシは軸配置がパシフィック型の2C1(先台車2つ、主動輪3つ、従台車1つ)で、コは5番目に製造された型の意味 | |
JF2形 2558 (ミカニ) 1929年 日本製 満鉄貨物用機関車 ミカニのミカは軸配置がミカド型の1D1(先台車1つ、主動輪4つ、従台車1つ)でニは2番目に製造された型の意味 | |
JF3形 2525 1927年 チェコスロバキア製 貨物用 軸配置(1D1) | |
FD形1227 (友好) 1937年 ソ連製 幹線貨物用 軸配置(1E1) | |
ST2 22 1935年 ドイツ製 貨物用 軸配置(1E1) | |
JF6形 3329 (ミカロ) 1936年 日本製 軸配置(1D1) 軽量貨物用 | |
SL8形 815(パシハ) 1937年 日本製 満鉄急行列車はと用 軸配置(2C1) 日立製作所科笠戸工場製 バレットタイプ(弾丸型)の流線型が特徴の機関車 | |
DK5形 250 1937年ルーマニア製 貨物用 軸配置(1E) | |
ロケット号(模造品) 西太后の息子の同治帝に贈られたものであるが、西太后は西洋文明である蒸気機関車をひどく嫌ったため、西太后に隠れて同治帝に贈られたと言われています。 | |
JG 1038 工健形 1960年 中国製 構内入換用 軸配置(CT) | |
JS 5003 建設形 1960年 中国製 貨物用 軸配置(1D1) | |
QJ 1316 前進形 1972年 中国製 幹線貨物用 軸配置(1E1)
1966年〜1988年にかけて4714両も作られた中国を代表する幹線貨物用大型機関車 日本では1970年代前半の蒸気機関車の定期列車がなくなったあとも、製造され、現在も数は少なくなりつつあるものの未だに各地で活躍しています。 | |
KX13形 3858 1959年 ポーランド製 入換用 | 売店で販売していた絵葉書。 裏面には中国郵政の60分の切手が印刷されており、 中国国内であれば、そのまま差し出すことは可能。 |
満鉄パシナ あじあ号 | |
それでは最後に瀋陽蒸気機関車博物館のメイン満鉄パシナを ゆっくりとご覧下さい。 |
スカイブルー塗装と流線型がひときわ目立ちます。 |
SL7形 751 (パシナ) 1934年 日本製
(川崎重工製) 大連−新京(長春)間701.4Kmを8時間30分、最高速度120Km/h、表定速度82.5Km/hの特急あじあ号として使用された。 軸配置(2C1) 先台車2つ主動輪3つ従台車1つのパシフィック型の7号機ということでパシナと呼ばれています。 展望1等車+2等車+食堂車+3等車+3等車+手荷物郵便車の流線形客車6両編成で戦前でありながら、空調付の超豪華列車として 運転されていた。翌35年にはハルピンまで延長運転された。 | |
バスタブ形の流線型が見事な機関車で、 今ならグッドデザイン賞間違いなしです。 |
後ろのテンダー部分から撮影。 |
後方から こちらにも前照灯があります。 | 直径が2Mもある動輪。 |
機関室下の車番は塗装で表現。 | 最後は正面から |
ボンネット型のトラックがまだ走っています。 | そんなんで驚いていたら今度はロバまで登場です。 この辺が中国らしいですね。 |
瀋陽>長春 | |
瀋陽駅 (旧奉天駅) ガイドによると東京駅を模しているとのことでしたが、 ちょっと雰囲気が違っています。 |
もちろん、日本統治時代に日本の建築家によって 造られたもので、内部の装飾も見事です。 当時は東京駅同様、ホテルも併設されていたという超豪華な駅でした。 |
下から2番目のN169 図門行に乗ります。 | 瀋陽→長春の乗車券 今回はちょっとし手違いでなんと硬座寝台です。 |
コンコースの案内板 | ホームのLED案内板 |
新型の機関車が牽引します。 | 古くからの中国伝統的な客車の色であるモスグリーンです。 |
荷物車も連結されています。 | 硬座寝台です。この車両にも専属の女性車掌が乗ってました。 朝鮮族の小柄なおばちゃんでしたが、とにかくよく働きます。 検札、お湯の入ってるポットの入換え、車内清掃。下車駅近くになると乗客一人、 一人声をかけて案内、寝台ですから、消灯時間になったら、カーテン を閉めて、果ては乗客の靴まで揃えていました。 本当に感心します。JRも少し見習ってください。 |
車内はあまりにもすごい雰囲気で、写真を撮れませんでしたが、 客車の名板だけ撮ってきました。 |
なんとか長春駅に到着です。 |
長春市内観光 | |
なんの変哲もないビルですが、これが旧満鉄の本社ビルです。 | これが、日本の傀儡国家と言われた旧満州国の国会議事堂です。 日本の国会議事堂にも良く似た立派な建物です。 現在は長春大学の建物になっています。 |
偽故宮です。 満州国皇帝、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀の宮殿です。 現在の中国政府は満州国を正式な国家だったとは認めていない ため旧満州国の施設にはすべて頭に「偽」をつけていますが、 今では中国の重要文化財にもなっており、積極的な修復や保存が なされています。 |
溥儀の玉座です。 |
旧大和ホテルです。今もホテルとして使用されています。 | 長春の路面電車です。 バスの中からの撮影で、こんな写真しか撮れませんでした。 ここもかなり古いタイプの車両が使われていました。 |
長春>哈爾浜(ハルピン) | |
長春駅 | K129 10時49分発 斉斉浜爾(チチハル)行に乗ります。 |
長春→哈爾浜(ハルピン)の乗車券 | この列車は吉林からやってきました。 今までと違いちょっといかつい機関車が牽引しています。 |
斉斉浜爾ー吉林のサボ | 白をベースに窓回りと裾部に赤。窓下にはオレンジラインの入った 明るい塗装の客車です。 |
車番です。今度はちゃんと軟座です。 | 車内の様子 |
モスグリーンの電気機関車 長春駅構内にて | 2車体連接の電気機関車 中国版のEH500とでもいうべきか。 |
今、乗っている列車の同じ機関車です。 | 長春ーハルピン間では水田、とうもろこし畑、ポプラと 北海道を思わせる景色が続きます。 |
哈爾浜(ハルピン)駅に到着です。 | 哈爾浜駅 |
哈爾浜市内観光 | |
ハルピンは元々はロシアによって造られた町でその後、満州国として 日本の統治を受けたということで、あちらこちらにロシア風の建物が 建っています。このことから「東方のパリ」とも呼ばれているところです。 |
ロシア正教の聖ソフィア教会 |
旧キタイスカヤ通にある旧マティアエルホテル ロシアによって建てられました。 |
その蓮向かいが旧松浦洋行のビル。 ロシアが建てた旧マティアエルホテルに対抗して日本が建てました。 |
観光バスから撮ったのでちょっと見難いのですが、 ハルピン市内にはトロリーバスが走っています。 |
ハルピンの街中。とうもろこし売りがでています。 |
哈爾浜>大連 | |
哈爾浜空港 | ターミナル内の様子 |
空港の待合室にて。これ、何だと思います? 手机=携帯電話。加油駅=ガソリンスタンドという意味です。 ということで、携帯電話充電器です。 |
ご覧のように、各社の端子があり、無料で充電できます。 日本にもあったら便利ですよね。 |
中国南方航空 日本では未就航のB757です。 | ハルピン−大連の搭乗券です。 |
大連>成田>東京 | |
大連からは、東京、名古屋、福岡と日本の各都市へとフライトが 続き、まるで国内線のような錯覚に陥ります。 ちなみに、一番下はソウルです。 |
帰りも中国南方航空のはずなのですが、中国北方航空の機材です。 ちなみに共同運航便ではありません。 |
大連−東京の搭乗券 普通、搭乗券の半券は小さい方が手元に残りますが、中国では、大きい方が手元に残ります。 | |
帰りは成田エクスプレスで。無事東京駅に到着です。 |
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