98年夏in九州


98年夏、懸案だった、宮崎空港線を仕切るため、九州鉄を企てる。よくよく考えると、今年の4月に北九州のモノレールが小倉駅まで乗り入れたし、島原鉄道も、雲仙普賢岳の火砕流の被害以来、不通だったのが、全線開通しているし、しかも、今後、しばらく、九州では新線開業予定がないので、鉄する期は熟していた。切符は今年4月に新登場し、使い勝手が非常に悪くなった周遊切符を使う。だいたい、まず、この周遊切符を買うのにてこずった。海浜幕張の駅で買ったのだが、窓口の駅員がよく分かっていない。別に、複雑経路で頼んだわけではないのに、買うのに20分もかかってしまった。周遊切符は行き券、ゾーン券、帰り券の計3枚1組の切符だが、ゾーン券はどのゾーンでも一律5日間しか有効じゃない。しかも、往復は乗車券のみ、急行、特急、新幹線利用の場合は別途、料金が必要になる。まったく、何のメリットがあってこんな使いにくくしたんだ。前の九州ワイド周遊券の方がよっぽどよかったよ。だいたい、5日っていうのが、全然足りない。行く日と帰る日を抜いたら、中3日じゃないか。九州中を3日でどう見ろって言うんだろうか?ということで、本当のところ切符をどう しようかといろいろ迷ってみた。豪遊券2枚にしようかとも思ったけど、高いし...。結局、以下のような裏技を使うことにした。


 8日  9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日   
              行き券
      ゾーン券
          長崎.島原半島フリー切符
          帰り券

本来、帰りはゾーン券の最終有効日にするものだが、行き券、帰り券は普通の乗車券と同じ扱いなので、都区内から博多までの切符の有効期間は7日間である。よって、裏を返せば、ゾーン券が切れてしまっても、JRに乗らなければ、帰り券の有効期間まで、ゾーン内に滞在できるわけである。行きに関しても同じことが言える。(もちろん、ゾーン券が使えないだけで、別途切符を購入すれば、問題ない。豪遊券と組みあわせる事も可能。)そこで、今回は滞在日数を稼ぐために博多発の長崎.島原半島フリー切符を合わせることにした。この切符はとてもお得だ。博多から諫早、長崎までの往復には特急の自由席が利用できて、さらに、島原半島内の島原鉄道(全線)、島原鉄道バス、長崎県営バスが乗り放題で、8800円。長崎まで特急で往復する値段と同じくらいだ。有効期間は3日間。当然、島原や雲仙観光も十分出来るわけである。
さて、なにはともかく、出発!


8月8日(土) 第1日目

最初は東京9:20発快速アクティーに乗ろうと思っていたが、どうも休日は215系じゃないらしい。215じゃなきゃつまらないし、だったら、9時発の踊り子にしようかとも思ったが、185系使用の踊り子に特急料金払うのも癪だし、何より、踊り子は夏休みで混んでるような気がしたので、ならば、少し早く出て7:24発の料金不要の185系使用の各駅停車伊東行きで出発することにした。185系は転換クロスシートとはいえ、形式の十の位の「8」が示しているとおり、れっきとした特急型車両。その特急型に料金不要で乗れるのはとても得した気分だ。この7:24発伊東行は鉄道ファン以外にも結構知られているらしくて、人気列車になっている。そのため、東京駅のホームには7:24発伊東行の乗車案内版が踊り子同様にかかっている。しかしながら、この日は夏休みとはいえ、早い時間のためか、そんなに混雑しての出発ではなかった。前述のとおり、各駅停車だが、特急型車両を使っているため、知らない人は、特急だと思って、当然乗ることを躊躇する。そのため、駅に停車するごとに、車掌が、「特急型車両を利用しておりますが、各駅停車です。乗車券、定期券だけで、ご 乗車できます。」と案内するのだが、よりによって、この日はなんと、サボ故障。行先方向幕が「特急踊り子」になってしまっているらしい。よって、より、いっそうの案内をしている。ご苦労なこった。熱海で下りてさらに気づいたのだが、前面の愛称幕も「踊り子」になっていた。それだけのことだが、本当に特急に乗ってきた感じで、さらに、ちょっと得した気分。


熱海からは浜松行オールロングの211系。しかも非常に混んでる。それでもどうにかこうにか座ることができた。それにしても、熱海−浜松間はなんとかならんかね。結構乗る人がいるんだから、1時間に一本でもいいから、快速電車を設定して欲しいものである。もちろん新幹線の「こだま」があるといえば、あるが、やっぱり、リーズナブルな料金で利用したいものである。作れば、結構、需要があるのになあなんて思いながら、浜松まで来た。浜松からもまたしてもオールロングの211。しかも非常に混んでいて、乗るのもやっと。おいおい、このままで豊橋まで行くのかよ。本当は昼も近いし、家から持ってきたおむすびでも食べようなんて思っていたけど、とんでもない状態だ。どうなる事かと思ったが、弁天島で大量の客が降り行った。どうも、海水浴(湖水浴)のお客だったらしい。車内はだいぶ空いて、座れたが、やっぱり、ロングシートでは弁当を食べるのは気がひけたので、空腹のまま、豊橋についた。


豊橋でなんで降りたかって?そりゃあ、今年の春に豊鉄の市内線が駅前まで乗り入れたからよ。本当は駅前から、1区間のみ乗ればいいのだが、せっかく来たのだし、時間もあるので、終点まで乗ることにした。この路面電車は実は2系統あり、終点の1つ手前でそれぞれ、赤岩口と運動公園の2方向にわかれる。そこからはそれぞれ単線閉塞になる。そのため、この2系統が1本おきにでる。駅前の電停はさすがに新しくなっており、コンコースからそのまま、路面電車乗り場に行ける。そして路面電車には珍しく券売機もある。この券売機は普通乗車券の他に、回数券、1日乗車券も購入出来るすぐれものだ。私もこの券売機で1日乗車券を買う。5、6年前にも乗っていたが、とりあえず、もう1度全線に乗ろうと思ったので、1日乗車券(400円)にした。一回150円均一だから、3回のれば元が取れるし、切符は記念に持ち帰れる。出てきた乗車券は、本当にこれが、自動券売機から出てきたの?と思うくらい大判な乗車券で、見開きで観光名所つき路線図が書いてある。乗車日は最近よくある、銀色の部分をコインで削って指定するものだ。
さて、とりあえず、赤岩口と運動公園、どちらが先でもいいので、来た電車に乗る。やってきたのは運動公園行である。それにしても、ここ、豊橋の路面電車はすばらしい。国道1号線の架線はセンターポール化され、景観がとてもよい。しかも、交差点以外は車が軌道敷に入らないように車線がきっちりと分かれている。なんか、ちゃんと、路面電車が街に溶け込んでいる感じだ。昭和40年代の不幸な一時期、全国各地にあった路面電車はモータリゼーションの名のもとに、次々と廃止されてしまったがここ豊橋を始め、最近、やっと、路面電車が見直されてきた。全く、うれしい限りだ。そうこう思いながら、片道、20分。とりあえず、運動公園に到着。すぐの折り返しに乗っても良かったのだが、懸案のおむすびを本当に電停のすぐ前にある運動公園で食べることにした。運動公園のとば口にしか入らなかったが、一応、競技場が奥にはあるらしい。炎天下であまり、人もいない。その炎天下の中、ベンチでおむすびを頬張る。とりあえず、15分後の次ぎ電車で戻りたいので、そんなゆっくりもしていらない。早々に食事をすませて、1度乗り換えて、赤岩口へ、ここには車両基地がある。なんか素 朴な車両基地だ。赤岩口ではすぐ折り返しに乗って、豊橋駅に戻る。ともかく、今回の目的の一つは無事終了!



豊橋からは311系新快速。だいたいいつも浜松から米原直通の117系の快速に乗ってしまうことが多いので、311系に久しぶりに乗る。新快速は本当に早い、一昔前では、これが特急といってもいいくらいなのに、料金不要とはなんともありがたいことだ。大垣からは後からくる快速に乗り換える。大垣−米原間は東海道本線で唯一のデッドセクションで、1時間に1〜2本しかない、これで本当にいいの?夏休みとかにしか乗らないけど、なんかいつも、混んでいるんだけど...。この日もものすごく混んでいて、117系の4両編成だったが、当然座席なんて埋まっていて、かなりの立ち客がいた。私もドアのところに米原まで立っていた。米原からの乗り継ぎの各停は221系で、しかも京都までは先の到着だったが、混んでたし、時間も余裕があったので、次ぎの新快速で行くことにした。223系を期待してたが、やってきたのは221系。まあ、いいか。その少し前に臨時の急行「ちくま82号」が入ってきた。この「ちくま82号」は急行のくせに、これから乗る新快速に抜かれるらしい。実は名古屋からこの「ちくま82号」に乗ろうとも思っていたのだが、周遊切符ではワイド周遊券 とは違って、急行は急行料金を払わなければならないし、なによりも、こうして、新快速を乗り継いで行った方が全然早い。それに165系のボックスシートに急行料金っていうのも気にくわない。料金不要の新快速の転換クロスシートの方がよっぽどよい。新快速には抜かれる。座席も良くない。ということで、「ちくま82号」は見送ることにしたのだった。新快速はガラガラでの出発だったが、琵琶湖湖畔で花火大会があるらしく、途中駅から、これ目当てで乗り込む客でしだいに車内が混んできた。そうこうしながら、列車は京都に到着した。


京都駅はすごいのお。駅ビルができてから、去年の暮れ以来、2回目だが、本当に立派な駅になったもんだ。京都では「あかつき」に乗るまでかなり時間があるし、外もまだ明るかったので、ちょっと駅まえをぶらぶら。特に、行くあてもないのだが、駅ちかくの、東本願寺、西本願寺あたりまで散歩することにした。明るいとは行っても6時近かったので、当然山門は閉まっているが、ゆっくり、街を歩くことができた。


京都からは「あかつき」に乗る。当然リーズナブルなレガートシートに乗る。寝台特急は寝台料金だけでも、6300円。特急料金をいれると10000円近くかかってしまい、とかく割高感がある。しかし、このレガートシートは指定席特急券のみで利用できるので、とても格安だ。座席といっても、飛行機のビジネスクラスくらいのレベルがあるので、そんな窮屈なこともない。少なくても、そんじょそこいらの夜行急行の座席とは雲泥の差である。最近、寝台特急は新幹線、航空機に押されて、年末年始やお盆以外は閑古鳥で、ダイヤ改正ごとに減便や区間短縮のニュースが聞かれる。その一つにはやはり、割高感があるのではないかと思う。この7月からサンライズエクスプレスがデビューして、のびのび座席が設けられ、特急料金のみで利用できるようになったが、今後、これを起爆剤として、夜行列車復権につながって行ってほしい。さて、夏休み最中で土曜日の晩発なので、混んでるかと思い気や、以外とがらがら、新大阪、大阪あたりから、乗ってくるのかと思っていたが、結局、大阪から、台湾や韓国からの旅行者が10名位乗ってきただけだった。低料金というのは、日本よりむしろアジア からの旅行者の方に知られているのであろうか?



8月9日(日) 第2日目

さて、やはり座席がいいためか、いつのまにか寝入ってしまい、翌朝、起きたのは関門トンネルもとうに越えて博多駅についた頃だった。とりあえず、このまま、終点の長崎まで「あかつき」に身を任せるので、再び、眠りにつく。ちゃんと目覚めたのは鳥栖を過ぎたあたりからだろうか?それにしても九州は東京と違っていい天気だ。これぞ、日本の夏というような、抜けるような青空が実にすがすがしい。でも、すがすがしいなんて思うのは冷房の効いた車内にいるからだろう。実際、外は暑そうだ。
長崎では朝食にする駅弁を買って、10分後の「かもめ10号」に乗って諫早まで折り返す。リニユーアルされた783ハイパーサルーンには初乗車だったが、乗車時間は18分なので、慌ただしく朝食を取っているうちに到着してしまった。諫早からは、大村線で佐世保へ。大村線では200系気動車は初仕切りであったが、車内は混んでて大村まで立ちであった。大村線はおだやかな大村湾に面して走っていくので、とても眺めがよく、九州の中でもお気に入りの線である。ハウステンボスを過ぎ、早岐では今朝、肥前山口で別れた佐世保行「あかつき」と再会を果たしたあと、終点の佐世保につく。佐世保でも、すぐに折り返しの「みどり」で博多まで戻る。早岐で方向転換のため、早岐までは後ろ向きで進む。博多では少々時間があいたのち、お目当てのソニックに乗る。どんなもんかと思えば、実にふざけた車両だ。遊び心はわかるけど、あんな感じでは車内で落ち着けやしない。だいたい、「ハウステンボス」や「にちりんシーガイヤ」みたいなリゾート特急ならわかるが、博多−大分なんてビジネス特急なんだからどうかと思うよ。でも、早い事は早いな。小倉をでると、あっという間に大分であ る。大分からは久大本線で由布院へ。これまた初仕切りの125系イエローワンマンカーで行く。


今回は鉄とともに、九州各地の湯巡りツアーも兼ねている。その最初のターゲットが湯布院である。今から思えば、夏まっさかりに湯巡りなんて、余計、汗が吹きだしてしまい、失敗だったんだが...。湯布院の街にいくのは高校2年の修学旅行以来、2度目である。この時に陶芸教室で湯のみ茶わんを作った思い出の地である。この時は今のように観光擦れもしてなくて、静かで実によい印象があったのだが、全く10年も立つと変われば変わるものである。駅前から続く、メインストリートは観光客であふれ、瀟洒な店がずらっとならんでいる。そこを通り抜け、目的地は金鱗湖近くの共同浴場の「下ん湯」。着いてみて驚いた。かやぶき屋根の建物で、番台、脱衣室もなく、入るといきなり湯船。洗い場もない。そして奥は壁もなく、露天があり、葦簀で囲まれている。そういえば、男湯、女湯もないじゃないか。ってことは混浴かよ。げっ。て言いながら、誰も入ってる人いなかったし、混浴に期待したわけじゃないが、せっかくだから入っちゃうことにした。入り口の竹づつに100円入れる。それでも露天に入ってみれば、金鱗湖を眺めながら、入れるのでなかなかよい雰囲気である。しかし金鱗湖 を囲む遊歩道から観光客にみられそうなので、ちょっとしたスリルがある。それにしてもまだ4時過ぎで日も高いこともあり熱くて暑い。それでも爽快は爽快だったので長湯しまい、でてから、汗が全然ひかずにえらく困った。結局、入っている途中に何人か入ってきたが、当然皆、男性だった。もっとも外からは混浴なんてことは分からないから、ときどき女性が、開けてのぞいていくのには閉口した。でも、開けてしまった女性も一様にびっくりしてる様子だから、女性の方も気の毒なもんだ。ともかく、へんてこな温泉をでて、次ぎにのる、「特急ゆふ」までまだ、だいぶ時間があったが、ぶらぶらと駅に戻ることにした。来た道はとおらず、少し遠回りだが、川沿いの道を歩く。ちょっとはずれると、観光客もめっきり少なくなって、じつにのどかだ。夕方で赤くそまった由布岳も手に取るように見え、気の早い秋あかねが田んぼの上を一面に飛ぶ様は、日本にもまだこんな風景があるんだなと郷愁をさそう。



さて、かなり早くに由布院の駅につき、お約束でオレンジカードも仕切ってしまい、どうして時間をつぶそうかと思って何気なくホームに目をやると、おおお!客レがいるではないか!行き先は豊後森。ともかく乗ってしまおう。特急には森から乗ればいいや。ってことでいそいそとホームへ行く。全国的にも少なくなった客車列車。本当はここ久大線でも前もって客車に乗るように予定を組みたかったのだが、うまく組めずに諦めていた。それが、思いがけずに乗れるなんて嬉しさが込み上げてくる。早めに駅に来たかいがあったってもんだ。久しぶりに乗る50系。客車特有の機関車に引っ張られる振動と線路の音だけが静かな車内に響き渡る。夕暮れの車窓も実にすばらしい。
豊後森にはまだ明るいうちについた。次ぎの「ゆふ8号」まで少々時間があるので待合室へ。ほどなくして改札がはじまり、再びホームへ、ちょうど陽が沈んだ直後であたりは暮色に包まれ、ホーム越しに見える山影が実に美しい。そしてあたりも暗くなったころ、「ゆふ」が入線してきた。車内は比較的空いていて、余裕で座れる。森まで客車に乗ってきてよかった。博多まではもう、とっぷり日も暮れて、車窓も楽しめず、ただただ、列車に身を任せる。博多では駅隣接の博多ラーメン屋で九州ラーメンを食する。この店は博多で小腹が空いたときはいつでも寄る、お気に入りの店である。


今晩のお宿は「ドリームにちりん」宮崎空港行。お盆前で短い7両編成というのにそれ程の混雑もなく、2人がけを1人で座ることができた。

8月10日(月) 第3日目

本当は終点の宮崎空港まで行って、宮崎空港線、初仕切りと行きたかったのだが、この一番列車で、宮崎空港に行ってしまうと、折り返しの列車が1時間以上もない。日南線の分岐駅「田吉」まで徒歩で戻ってもそんなに遠そうでもないのでよさそうだが、歩くとなると、今度は田吉での列車にぎりぎりといった感じで、余裕がない。ましてや初めてだし、道も分からない。結局、今回は諦めて、南宮崎でおりることにした。宮崎まで戻って、そこから、「きりしま1号」で霧島神宮へ。宮崎駅は2面4線の高架駅だが、階段を降りるとすぐ改札があり、隣りのホームに行くのにもその改札を通らなければならない。周遊券を持っているのだから、別にいいのだけど、なんか、後ろめたい。
緑になった485系「きりしま」にも今回、初乗車だ。赤一色とはまた全然雰囲気を異にした、深みのある緑に全身を包んだ4両編成の485系がホームに滑り込んできた。車内に関しては、相変わらずの485だったが...。途中、西都城では廃止になった大隈線が左に別れる。せっかく高架線まで作ってあったのに、その先を見ると、跡地にはすでに住宅が建てられてしまっている。もう、2度と列車が走ることがないと思うと、なんか寂しい気がする。


霧島神宮では、えびの高原、霧島神宮をめぐる3時間あまりの定期観光バスに乗り込む。予約なしだったが、駅前のクリーニング屋さんで2220円のチケットを買う。平日だが、さすがにお盆前の夏休みということもあって、かなりのお客さんが集まり、出発した。私は一人旅の時、よく、このような定期観光バスを利用する。短い時間で効率よく観光スポットを回ってくれて、値段も路線バスを乗り継いでいくのと、対して変わらない。またバスガイドさんがいろいろ説明してくれるのも嬉しい。
観光バスでのツアーの後は特急で隼人までゆき、そこから、肥薩線、吉都線経由で都城へと戻る。キハ58で昼下がりの肥薩線をのんびりと吉松まで登ってゆく。交換列車の遅れで吉松では30分近くも停車。その間、ホームに昔ながらに「べんとー。べんとー。」と声を張り上げて売りに来る駅弁を購入。非常に素朴な幕の内弁当である。そうこうしているうちに遅れて来た急行「えびの」が到着。慌ただしく出発したあと、当列車も肥薩線を左に見て別れて、吉都線へと入っていく。吉都線に入るとは肥薩線の山の中の風景とは一転して田園の中を、遅れを取り戻すために、快調に飛ばしていく。結局、都城には10分の遅れで到着した。定刻到着で2分接続で宮崎行に乗る予定であり、心配したが、ちゃんと待っててくれた。



南宮崎からは今回の最大の目的である宮崎空港線に乗る。南宮崎ではいつのまにか、遅れを取り戻して定時に到着。ホームで待ってた電車は宮崎空港線のためにリニューアルされた719系のサンシャイン。おお、ついているぜ。と思いながら、誰も乗っていない車内に乗り込む。お客は本当にいないらしい。と思っていたら、一人いたんだな。これが...。しかも、鉄。自分も同じ事しているから人の事言えないけど、一見してすぐそっち系と分かってしまうのが恐ろしい。それは自分も同類だからなのだろうか?自分も彼らから見られると、すぐにそれと分かるのだろうか???実際、彼も私をちらっと見た。げっ!気をつけなくては...。といいながら、思わず自分の身なりをチェックしてしまった。ま、人の目なんか気にしていたら、この趣味勤まらないんで、発車するときには彼の存在さえも忘れて、新線の風景に目を凝らす。田吉までは日南線を南下。ほどなくして新設された田吉に到着。ここで交換列車を待つ。この田吉駅から左手に高架線が別れてゆき、宮崎空港駅も田吉駅から見ることが出来る。その高架線を行き違いの赤い「にちりん」がすべりこんで来たあとに出発。高架線をのぼり、左に 大きくカーブすると、すぐに終点宮崎空港である。げっ。俺ってこのために九州まで来たのかよ。さっきの鉄氏のことをとやかく行ってる場合じゃないな。俺も。で、ともかく折り返しまで若干の時間があったので駅を降りる。本当に、空港の前に駅があり、利用者にはとても便利そうだ。これで、少しは鉄道も活性化してくれるとよいのだが...。空港ターミナルに入ると、18時にも関らず、東京や大阪からの発着がまだまだ、沢山あるようだ。実際、飛行機で来たら、早いんだろうな。なんかわざわざ、ここまで鉄道できたのが、馬鹿らしくも感じてくるが気をしないではないが...。こういう趣味の関係上、国内旅行はいつも鉄道なもんで、国内線なんて仕事以外では全く乗らない。まあ、好きでやってるんだからいいか?
さて、折り返しは「にちりん26号」、ちょうど東京からの便が着いたため、改札付近はかなり混雑している。先頭車の自由席に座るとこれが、びっくり。座席、背もたれとも2席が一つになっていて、リクライニング機能もない超初期型の座席。なんか嬉しくなってしまった。でも、私は宮崎までだからいいけど大分や小倉までこの座席はいやだなあ。それにしても、まだこんな座席の車両がアコモ改造もされずに残ってたなんて...。でも、まもなく、増え続ける新型車両におされて、ひっそりとなくなっていくんだろうな。


宮崎からは今晩の寝床になる「ドリームつばめ」にのるため、再び「きりしま」で日豊本線を西鹿児島まで下る。西鹿児島には21時前に着き、「ドリームつばめ」は23:30発なので、2時間半以上もある。確か、駅の近くに西田温泉という共同浴場があったはずなのだが、どこにあったのかどうしても思い出せない。少し駅前を歩けば、思いだすかもしれないと思い、10分くらい駅前をやみくもに歩いてみたが、やはりだめで、仕方なく、警察のごやっかいに...。交番で「この近くに銭湯、ありますか?」って訊ねると、お巡りさんは親切に教えてくれた。で、再び、警察のお世話にはならないように、ここに場所を記述しておくことにする。西鹿児島駅前左側に郵便局があり、その郵便局沿いの道を左へまっすぐ、5、6分いったところに、お目当ての西田温泉がある。入浴料は200円。まあまあの広さで中には3、4種類のお風呂があり、お奨めである。湯上がりですっかりのぼせた後によせばいいのに、駅に戻る途中のラーメン屋に入る。もう、汗だらだらで本場の鹿児島ラーメンを食べる。そして少し早いが西鹿児島駅に戻る。西鹿児島駅はもう新幹線対応用の駅舎になっており、少々、気 が早い感じもする。それにしても本当に新幹線くるの?後で聞いた話だが、順調にいけば2003年度中に八代―西鹿児島間が開通するらしい。
「ドリームつばめ」はガラガラで出発。その後、大量に乗客が乗ってきそうな駅もないので、非常に落ち着ける。昨晩の博多発の「ドリームにちりん」は小倉で結構、人が乗ってくるので、小倉を過ぎるまでは落ち着けない。こう考えると上りのこの「ドリームつばめ」は宿変わりにする列車として狙い目かもしれない。かくしてこの日を含めて3日間この列車のお世話になることにした。


8月11日(火) 第4日目

さて次の日は筑豊本線を乗り通すことから始める。博多から811系で原田まで戻る。原田につくと、突然の雨。ホーム屋根の下で桂川行ワンマンカーを待つ。30分後、小さな125系イエローワンマンカーがエンジン音を響かせながら入線してきた。原田を出ると雨はやみ、晴れ渡ってきた。九州も天気は不安定なようだ。桂川で若松行に乗り換える。桂川は今や博多のベッドタウン。ちょうど通勤時間帯にあたり篠栗線、博多行の普通列車はキハ66、キハ40の混結の7両編成であった。久しぶりに気動車の普通列車で長編成を見る。さすがに7両ともなると、なかなか壮観な眺めである。その列車を見送り、博多から来た列車はキハ66の2両編成。よく見慣れた短編成である。この列車で若松まで行く。若松から折尾まで戻り、折尾で名物「とりめし」を買い、「にちりん」で小倉へ。小倉からは4月に小倉駅まで乗り入れた北九州モノレールに乗る。本当に駅のコンコースまで乗り入れていて、雨でも傘いらずである。このモノレールで終点の企救丘まで行く。企救丘は日田彦山線の志井公園と近いため、快速日田に乗り換える。実は時間が結構ぎりぎりで暑い中、志井公園駅まで走ってしまった 。本来、快速は志井公園には停車しないのだが、夏休み期間のみ停車するらしい。車内はかなり込んでおり、ボックスに相席をさせてもらう。それでも田川後藤寺で1ボックスを仕切れて、折尾で仕入れたとりめしを食べる。この列車は天ケ瀬行だが、日田で降りて、後続の「特急ゆふ」を待つ。やってきた「ゆふ」は座れない程ではないが結構混んでいて、混雑は由布院まで続いた。日田で乗り換えて正解だった。この「ゆふ」で終点別府までゆく。別府では、またまた日も高いのに温泉を仕切り行く。学生時代に来た時は駅前温泉に入ったので、今回は別の所をさがす。果たして、ちょっと、奥に入ったところに渋い浴場があった。別府からは大分から豊肥本線に入る「特急あそ」に乗る。豊肥本線は阿蘇の外輪山の中を通ってさらに外輪山を越えるさいにはスイッチバックのある、おもしろい路線である。かろうじて、暗くなる前に、そのスイッチバックを越えることができた。熊本からは再び今晩のお宿になる「ドリームつばめ」を迎えにいくため「つばめ」で西鹿児島へ行く。この日も「ドリームつばめ」はがらがらで本当に寝床にはもってこいの列車である。でもあんまりすき過ぎていると、廃止にな るので可能性があるのでやはりほどほどには乗って欲しいものだ。廃止なんかなってしまったら、元も子もない。


8月12日(水) 第5日目

さて、九州での日程も早、5日目になった。今日は筑豊本線の客車列車を仕切ることから始まる。まずは折尾へいく。博多からの普通列車は新型の813系である。折尾から一つ先の東水巻まで客車を迎えに行く。DD51に引かれた6両編成の50系がやってきた。通勤時間帯のため車内は席が埋まるくらいの乗車率だ。このまま終点の門司港までゆく。筑豊本線は篠栗線とともに電化の予定だから、この客車列車もいつまで残るか時間の問題である。
さて、今日はここから人吉へ行く。取りあえず小倉からソニック、博多から有明で熊本行く。熊本では「急行くまがわ」まで時間がある関係で、三角線に遊びに行く。以前にも三角線は乗っていたが、乗り潰しのため、夜になってしまったので、どんな車窓か全然知らない。今回は昼間だし、もう一度乗ってみることにした。乗ってみて正解だ。海岸線沿いの実に美しい景色が広がったいた。やっぱり昼に乗りに行くべきだよね。こうして往復2時間弱の時間調整の旅を楽しんだあと、アクアエクスプレス仕様の急行「くまがわ」にのる。球磨川なのにアクア(海)というのはいささかおかしいが、もともとは香椎線の海の中道へいくために作られたジョイフル列車なのである。アコモデションは一人掛け座席と窓側に向いた座席というおもしろい座席配置である。ちょうど、伊豆急のリゾート21のような感じでなかなかよい。人吉でも温泉めぐりを決行する。駅からぶらぶらと15分近く歩いた人吉城のそばに、お目当ての温泉があった。先客はなく、中もひろびろ、浴室内は大きなゴムの木が植わっていて、いままでの中で一番いい感じである。ゆっくりと入ってきてしまった。



人吉からは「急行えびの」で肥薩線を下る。人吉―吉松間は肥薩線きっての難所&見せ場であり、急勾配のためループ線がある。夏の緑に覆われ、ループ状の鉄路が確認しにくいが、確かに螺旋を描いて登っていった。
「えびの」は吉松からは肥薩線と別れをつげ、一昨日にも乗った吉都線へと進路を変える。この「えびの」にあてもなく、終着まで乗車。宮崎からは「きりしま」でまたまた今晩のお宿である、「ドリームつばめ」の待つ西鹿児島へと急ぐ。これで車中泊が連続5日。さすがに疲れてきたが、車中泊もこれで最後である。明日はたまたま仕事で博多に来ている父と待ちあわせて、長崎は小浜温泉に泊まることになっていたからである。


8月13日(木) 第6日目

博多からは「かもめ1号」で諫早へ向かう。ここからは、長崎本線長与廻りで長崎へ。長崎からはシーサードライナーでハウステンボス。ハウステンボスからは「特急ハウステンボス」で佐賀。そして佐賀からは父が乗っているはずの「かもめ17号」に乗り換えて再び、諫早へ。「かもめ17号」はかなり混雑しての到着。自由席をはじからはじまで歩いて、やっと、父をみつけた。
諫早からは島原鉄道に乗り換え。二人とも食事をとってなかったので、駅弁を買いにいく。KIOSKに行ったが駅弁らしいものはなく、おにぎりやサンドイッチ程度のものが並んでいた。そんな中で、2つだけ、お土産っぽく包装紙に包まれた大村寿司というものが残っていた。値段も700円で手ごろだし、買ってみることにした。来た列車は新型のキハ25(JR九州のキハ125の島鉄版)。車内は結構混んでいたが、ボックスシートにこしかけ、その大村寿司を食べることにした。大村寿司は鎌倉時代に大村が諫早、島原の連合軍との戦いに勝って、武士達が大村に凱旋したとき、農民達がこれを出迎えるために作った寿司だという。しかしながら、あまりにも突然なことだったので、当時の家にあるものだけで急いで作った、いわゆる有り合わせの寿司であった。それでも戦いに勝った武士は感激して、脇差をはずし、その刀で寿司を切り分けて食べたという。さて、大村寿司の講釈はこのくらいにしておいて、列車は海岸沿いをゆっくりと進んでいく。途中、島原で車両を切り離しで1両になる。運悪く、切り離される方に乗っていたので、乗り換える。島原でかなりの乗客が降りたが、1両にな ったので相変わらず、車内の混雑は続いた。島原外港を過ぎる頃に、今までののどか風景とは一変する。車窓は普賢岳、火砕流の爪痕がいまだに、なまなましく残る景色に変わる。進行方向、右手には不気味な普賢岳の溶岩ドーム、平成新山が見える。2時間以上も汽車に揺られ、いい加減飽きてきたころに終点加津佐についた。加津佐からはバスで本日の目的地の小浜温泉に向かう。小浜温泉は5年前に通った時に目を付けてた温泉場である。海岸に面してホテルが立ち並び、雰囲気がどことなく、東京の奥座敷の熱海に似ている。もちろん、熱海ほど賑わってなどいないが...。小浜温泉の中では最も大きい、小浜観光ホテルに泊まったのだが、それにしてもお盆休みだというのに、客室は3分の1程度しか埋まってないようだ。どこも厳しもんだ。しかし、お風呂は露天風呂もあり、最高だった。食事も海の幸がならび、なかなかよい。これで、1泊2食付きで1万5千円。やっぱりスポンサーがいると贅沢できるよね。


8月14日(金) 第7日目

さて、翌日は、雲仙観光に行く。地獄めぐりのあと、バスで島原に降りる。島原では武家屋敷をみたあと、島原の涅槃像へ。次ぎの列車まで時間がなくなり、少し、急ぐ。島原から、島原鉄道で諫早に戻る。まだ、日が高いので、博多には戻らず、長崎へ。長崎では路面電車に乗って、眼鏡橋など、少し観光。そして、横浜、神戸と並ぶ、日本3大中華街の一つである、長崎中華街へ。ここで、長崎名物のちゃんぽんを食する。さすがに本場のものはおいしいね。食後は再び、市電に乗り、ぶらぶら駅にもどる。帰りのかもめは一番前の展望席をしきる。九州は日が暮れるのは遅いとは言ってもさすがに博多についた頃には真っ暗になっていた。9時近かったが、博多の新しい観光ショッピングモールのキャナルシティーから中洲までを散策した。


8月15日(土) 第8日目

そして長かった旅も最終日。親子が同じ日に帰るというのに、父は飛行機。私は当然、「のぞみ」。父は飛行機でゆっくりだが、私は新横浜停車の「のぞみ」でしかも500系使用に乗りたいのだが、そういった列車は朝一しかないので、5時起きである。博多6時36分発のぞみ6号にのる。300kmなんて短い区間しかださないんだろうな。って思ってたが、そうでもなく、博多を出ると、ぐんぐん加速してゆき、小倉までに、300kmを軽く、出してしまった。1週間もいた九州も小倉をでると、あっと言う間に新関門トンネルをくぐり、本州へ、そして驚異的な早さで広島に到着。本当に早い。車窓なんて流れてろくに見れないし。駅を通過しても、駅名表なんかとても、見れない。そのため、車内のLEDにちゃんと「只今、新下関を通過中。」等と表示される。さすがにお盆のUターンのため満席だが、新大阪で乗客のほぼ全員が入れ替わる。新大阪からは270kmに速度を落とすものの、それでも、あっと言う間に新横浜についてしまった。すごい、時代になったね。朝一に博多を出たとは言え、午前中に新横浜に着いてしまうんだから...。新横浜からは市営地下鉄で帰路の途に。ちなみ に父は午後一の飛行機に乗って夕方に自宅についた。そりゃあ博多からじゃ、飛行機の方が早いに決まっているけど、ここまで早けりゃ新幹線だって、負けてないよね。これにて今回の鉄もつつがなく終了。おつかれさまでした。


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